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なぜ主人公・平山はカセットテープで音楽を聴くのか

――平山はいつも車で音楽を聴きますが、それが全部カセットテープです。監督の発案ですか?

ヴェンダース 脚本を書いているとき、卓馬(注:プロデューサーであり脚本をヴェンダースとともに書いたクリエイティヴディレクターの高崎卓馬氏)と僕は平山がちっぽけでボロボロのバンを運転している、と決めたんだ。そのとき、バンにはカセットプレイヤーしかついてないから、平山もカセットテープしか持ってない、というアイデアを思いついた。

 

 平山はあるとき、それまでの生活やもっていたものをすべて捨て、押上のアパートに住み、トイレの清掃員になったんだろうと思うけど、そこへ至るまで、彼に一体何があったのかは僕らにはわからないし、彼はそれを語ったりしない。

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 だから想像でしかないけれど、おそらく、唯一捨てなかったものが古いカメラと古いカセットだったんだと思う。以来、彼はとても「幸せな男」になったんだ。

小津安二郎は僕のスピリチュアルマスター

――監督は小津安二郎監督を敬愛されています。今回の映画も、小津監督へのオマージュが捧げられているように感じられました。例えば、同じようなショットを繰り返して撮るのが好きだった小津のように、平山の「モーニングルーティン」を繰り返して描写したり、失われゆくものを慈しむ平山の姿が『東京物語』の笠智衆のようであったり。

ヴェンダース 小津は僕のスピリチュアルマスターであり、真の映画を作った人。アメリカ的な帝国の一員にならず、自身の独特の帝国を築きあげたんだ。ただ、今回の映画は小津とは撮り方がまったく違う。

 小津はカメラを固定して撮る人だったけど、僕は手持ちで撮るのが自分のスタイル。小津が好んだ50ミリレンズも使ってない。

 

 意識したとすれば、映画の画角を3:4にしたところと、女性の描き方。今回僕は女性たちをモダンで先進的な存在として描いていて、小津の映画もそうだった。

 そして、今回僕が撮った東京は小津の死から60年経った東京だ。60年後の東京がどんな街になったのか、そこに暮らす人々や家族のあり方はどう変わったのか、変わっていないのか。そこは少し考えたかもしれない。