「これまでの西部劇に描かれていない物語」
西部開拓時代のアメリカ、オレゴンで出会った料理人のクッキーと中国移民のキング・ルー。荒くれ者たちが闊歩する未開の土地で、共に周囲から見下され、社会のはみ出し者として扱われてきた二人はある計画を思いつく。それは、仲買商の所有する一頭の牝牛からミルクを盗み、ドーナツ作りで一儲けすること。
甘いドーナツをめぐる冒険譚『ファースト・カウ』の監督は、アメリカのインディペンデント映画界で長年活躍するケリー・ライカート。1994年に『リバー・オブ・グラス』で長編監督デビューしサンダンス映画祭で絶賛された後、『オールド・ジョイ』(06)、『ウェンディ&ルーシー』(08)、『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』(16)などを発表。国際映画祭でも常連の監督だが、日本ではなかなか監督作の一般公開が実現されずにきた。しかし2021年の特集上映を機に映画ファンから熱狂的な反響を集め、このたび『ファースト・カウ』によって初めてライカート監督の映画が一般公開される。従来の西部劇にはないユニークな物語はどのように生まれたのか、お話をうかがった。
従来の西部劇のイメージに囚われず自由に物語を語ること
――西部劇に出てくる牛というと「肉」としてのイメージが強かったので、この映画における「乳牛」としての牛の姿を新鮮に感じました。こうした牛の描写や、料理人と中国移民という主人公たちのキャラクターなど、これまでの西部劇では描かれてこなかったものを描きたい、という思いが強くあったのでしょうか?
ケリー・ライカート 私がこの原作小説に惹かれたのは、まさにこれまでの西部劇に描かれていない物語という点でした。西部劇と呼ばれる映画の多くは、人々が北アメリカ大陸を横断し西側の土地を開発していった時代を描いていますが、この話の舞台はそれより少し前の1820年代、人々が船に乗ってオレゴンに渡り森でビーバーを狩ってはその毛皮を取引していた時代です。毛皮を大陸の東側に運んだり、ときには中国やフランスに売っていたり、こんなふうにビーバーの交易を描いた映画を、私は今まで見たことがありません。
また西部劇では、荒野を駅馬車が走っているようなイメージがありますが、ここで描かれるのは深い森林地帯。1820年代という時代とオレゴンの美しい森林を舞台にしたことで、従来の西部劇のイメージに囚われず自由に物語を語ることができたのです。