「体感で1000万円くらいは出させた」
実際に、須藤さんの兄もその当時、“被告に1000万円ほど出させた”と調書で語っている。
「2002年7月から翌年1月末まで、順也に金を出してもらい、木更津のホテルに弟と泊まっていた。順也の印象は『自分からすすんで金を配るやつ』という印象だった。当時の私は、必要な金は順也が出してくれるものと思っており、申し訳ないとか罪悪感はなく、当たり前のように思っていた。いちいち幾らか確認してないが、体感で1000万円くらいは出させたのではないか」(須藤さんの兄の調書)
その後途絶えていた被告と須藤さん、そしてAさんの関係は、成人後に復活する。まずAさんの自宅に、須藤さんが居候するようになった。そして「順也に会いに行こう」と、ふたりで小川被告の自宅を訪ねたのだった。須藤さんはほどなく、被告の家に移り住むようになる。
小川被告にとっては「繋がりを続けたいと思う関係だった」
「秀平が順也の家で暮らしていた間に、順也から電話で『秀平から金をたかられてる』と聞かされることがあった。記憶の範囲では、順也は秀平から『金を作ってこい』『ゲームやDVDを売って、金にしてこい』と言われたりしていたらしく、また『田んぼの金を全部使われた』と聞かされたのも覚えている。『光熱費も払えない。食事代もない、金貸してくれ』とたびたび順也が頼んでくるようになった」(Aさんの調書)
当の小川被告は、被告人質問で「小学6年生のころから秀平さんと遊ぶようになり、次第にモノを買ったり金を渡す状態になっていった。3万円ほど、週に一度は……。金は祖父からもらっていた」と、小学生時代から須藤さんに金を渡していたと語り、中学生のころは「3年生になってまた同じクラスになってから、要求されるようになった。1回あたり3万から5万の間だった」と、祖父から金を無心し須藤さんに渡していたと語った。
「彼との関係、断ちたくなかったという気持ち。このまま渡さなければ、つまらない、付き合う価値のない人間と思われても仕方ないのかなと思っていた」(被告人の証言)
そんな気持ちから、他の友人にも金を渡していたこともあったという。被告にとって須藤さんは「繋がりを続けたいと思う関係だった」という。「金に関係なく単純に仲がいいんだと思った」と須藤さんの兄も調書で語っていた。
成人後に突然訪ねてきたころの須藤さんは「最初は金の要求はありませんでした」(被告人の証言)というが、居候後には金の無心が始まった。かつて間に入ってくれた父は入院しており、祖父と、知的障害のある母と暮らしていた頃だった。
「週に1回から3回は金の無心があったと思う。一度に5万円ほど。多い時は10万を超えることもあった」(同前)というが、家族の口座を管理していた被告は、これに応じていた。ところが事件1ヶ月前から「暴力的というか粗暴になった」(同前)という須藤さんから「自分に金がない時、あと秀平さんの兄から秀平さんに電話があったときに」(同前)暴力を振われるようになった。
「正直、今までの状況と全く違う。恐怖心が増していった。このまま金を無心され、また暴力を振われると昔のようになってしまう。自分がいなくなったり、自殺すればいいと思うようになったが、自殺は度胸がなかった。いなくなっても矛先は家族に来る。自分でどうにかするしかないのかなと、殺すしかないのかなと思った」