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 ワンルームの部屋には、布団が敷かれたままでした。

 その上で亡くなったのでしょう。びしょびしょになった布団は人の形に沈んでいました。

 あたりをハエがぶんぶん飛び回り、ウジムシが床一面を這っていました。

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 遺体は死後半年ほど経っていたそうです。冬の間に少しずつミイラ化した遺体が、春の暖かさとともに一気に腐り始めたのかもしれません。亡くなったのは50代の男性と聞きました。部屋には、空のペットボトルや汚れた衣類、紙屑などのゴミが散乱し、足の踏み場もないほどで、お世辞にもきれいとはいえない状態でした。

 テーブルには、請求書や飲みかけの薬が散らばっていました。病気がひどくなっても、金銭的な事情から病院に通えなかったのかもしれません。頼れる人がなく、苦しんで亡くなったのでしょうか。

 あまりに悲惨な状況を見て、男性の最期に思いを馳せました。

「ああ、この方はどんな思いで亡くなったのだろうか? せめて、この男性の御霊を安らかな方向に導きたい」と強く感じたのです。

空気が変わった瞬間

「ここで、お祓いをしてください」

 いつの間にか手袋をはめ、目をそむけながら布団を押しのけたリフォーム会社の方に、そう言われました。わたしはその人と入れ替わりに布団があった場所に進みました。一歩一歩近づくたびに、びちゃびちゃと足音がします。

 リフォーム会社の方は逃げるように部屋から飛び出ていき、沈痛な面持ちの不動産屋さんは現場に近づいてこようとはせず、遠巻きに見守っています。

 わたしは布団があったところに祭壇の準備をし、お祓いの態勢を整えました。持ってきた通常の祭壇は、ワンルームには大きすぎました。床はゴミだらけで、設置に苦労しました。

「畏み畏み申す……祓い給え、清め給え、祓い給え、清め給え……」

 特別に用意してきた「祭詞」を唱えました。祭詞とは故人を悼み、物件を清めてお守りいただく旨を、天地の神様に申し伝える言葉です。

 祭詞をあげているときも、死臭は鼻を刺激し、マスクをしていない口の中にはハエが飛び込みそうになりました。

 臭いや虫に必死に耐えながら祭詞をあげおえたとき、不思議な感覚が全身を貫きました。

 カメラのフラッシュが光ったように、空気の層が変わったと感じたのです。

 このような感覚を覚えたのは、後にも先にもこのときだけです。

わたしにしかできないこと

 お祓いがおわり、玄関のほうに顔を向けると、不動産屋さんとリフォーム会社の方の顔つきが、あきらかに違っていました。まなざしに光が戻り、憑きものが落ちたようです。

 祭壇を片づける間ももどかしく、キビキビと動き出すや、清掃作業を開始しました。

「ああ、無事に祓われたんだな」

 彼らのさっぱりした顔を見て、自分のおこなったことの「意味」がわかったのです。

 孤独死をされた方は、葬式をやってもらえないことが多いのです。

 人生最期の瞬間に独りだった方に「ご苦労さまでした」と伝え、死者と対話し、その人生をねぎらう。それは、宮司であるわたしにしかできないことです。

「役に立った」と思えた瞬間でした。