「男みたい」と言われてクラス中から無視された保育園時代
――どんな部分に憧れたのでしょう。
紅子 当時、親戚からも、保育園の人たちからも、すごく嫌われていたというか、居場所がなかったんです。私、昔から声が低くて、「男みたい」と言われて保育園の先生に気味悪がられたり、クラス中から無視されたり、追いかけ回されたりしていて。保育園の頃から、人間関係にかなりつまずいていました。
そんなときに、竹藪とかに捨ててあるエロ本を見て、「ああ、男の人たちはこういうのを見て喜んでいるんだな」「こういう世界に行けば、自分も受け入れてもらえるんじゃないか」と思うようになりました。
――ご家族との関係は。
紅子 両親は商店街の一角で昔ながらのお菓子屋さんをやっていて、すごく忙しくて。時代性もあるのかもしれないけど、子育てよりも、自分たちの商売をどうにかしようと必死でした。
両親のお店から家まで1キロぐらい離れていたんですけど、夕飯は父親がコロッケを1つ届けてくれて、双子の妹と一緒にご飯を炊いて、それを食べるみたいな。食卓の上がグチャグチャで手が付けられなかったので、段ボールを組み立てて、そこで食事をしてましたね。
――ご両親は家の掃除もあまりしていなかったのですか?
紅子 お皿は何週間も洗ってなくて、洗濯物や家財道具、文房具とかがグチャグチャの状態で床に重なってました。いつも雨戸を開けてなかったので、真っ暗闇のゴミ屋敷でずっと過ごしていました。
小学校入学後、イジメのターゲットに
――小学生になってからは、女性の裸の絵を描くようになったそうですね。
紅子 小学校に入ってすぐに、保育園のときみたいにイジメられてしまって、あっという間に不登校になってしまったんです。だから、1人でゴミ屋敷みたいな家の中で、女性の裸を妄想してそれを絵に描いていましたね。単純に絵を描くのが好きだったというのもありますけど。
――なぜ入学してすぐにイジメが始まったのですか?
紅子 保育園時代にイジメられた影響で、小学校へ行くのが怖くなって、入学したら普通に話すことができなくなってしまったんです。給食とかも一口も食べられなくて、周りから「口がきけない気持ち悪い奴」と鉛筆で刺されたり、「どうやったら声が出るんだろう」とデッキブラシで殴られたり。
当時は学校の先生が教鞭(教員が体罰や授業中に説明するために用いた鞭)を持っている時代だったんですけど、女性の担任教師からも「なんでしゃべらないんだ」と鞭で叩かれて。それで不登校になって、「いつか自分もこんなふうに裸になって、人に受け入れてもらいたい」と思いながら絵を描いてましたね。