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「保育園の頃から裸になりたかった」4歳で性に目覚め、19歳から風俗勤務…元吉原ソープ嬢の写真家(51)が語る“壮絶な生い立ち”

色街写真家・紅子さんインタビュー #1

genre : ライフ, 社会

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「男みたい」と言われてクラス中から無視された保育園時代

――どんな部分に憧れたのでしょう。

紅子 当時、親戚からも、保育園の人たちからも、すごく嫌われていたというか、居場所がなかったんです。私、昔から声が低くて、「男みたい」と言われて保育園の先生に気味悪がられたり、クラス中から無視されたり、追いかけ回されたりしていて。保育園の頃から、人間関係にかなりつまずいていました。

 そんなときに、竹藪とかに捨ててあるエロ本を見て、「ああ、男の人たちはこういうのを見て喜んでいるんだな」「こういう世界に行けば、自分も受け入れてもらえるんじゃないか」と思うようになりました。

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――ご家族との関係は。

紅子 両親は商店街の一角で昔ながらのお菓子屋さんをやっていて、すごく忙しくて。時代性もあるのかもしれないけど、子育てよりも、自分たちの商売をどうにかしようと必死でした。

 両親のお店から家まで1キロぐらい離れていたんですけど、夕飯は父親がコロッケを1つ届けてくれて、双子の妹と一緒にご飯を炊いて、それを食べるみたいな。食卓の上がグチャグチャで手が付けられなかったので、段ボールを組み立てて、そこで食事をしてましたね。

――ご両親は家の掃除もあまりしていなかったのですか?

紅子 お皿は何週間も洗ってなくて、洗濯物や家財道具、文房具とかがグチャグチャの状態で床に重なってました。いつも雨戸を開けてなかったので、真っ暗闇のゴミ屋敷でずっと過ごしていました。

小学校入学後、イジメのターゲットに

――小学生になってからは、女性の裸の絵を描くようになったそうですね。

紅子 小学校に入ってすぐに、保育園のときみたいにイジメられてしまって、あっという間に不登校になってしまったんです。だから、1人でゴミ屋敷みたいな家の中で、女性の裸を妄想してそれを絵に描いていましたね。単純に絵を描くのが好きだったというのもありますけど。

 

――なぜ入学してすぐにイジメが始まったのですか?

紅子 保育園時代にイジメられた影響で、小学校へ行くのが怖くなって、入学したら普通に話すことができなくなってしまったんです。給食とかも一口も食べられなくて、周りから「口がきけない気持ち悪い奴」と鉛筆で刺されたり、「どうやったら声が出るんだろう」とデッキブラシで殴られたり。

 当時は学校の先生が教鞭(教員が体罰や授業中に説明するために用いた鞭)を持っている時代だったんですけど、女性の担任教師からも「なんでしゃべらないんだ」と鞭で叩かれて。それで不登校になって、「いつか自分もこんなふうに裸になって、人に受け入れてもらいたい」と思いながら絵を描いてましたね。