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 そんな時期に、家の郵便受けに入っていた「フロアレディ募集。日給1万円以上」というチラシを見て、電話をして、お店がある西川口に行きました。そしたらそのお店が、いわゆるピンクサロンで。

――そういうお店とは知らずに行った?

紅子 そうです。男の人を相手にする仕事だろうとは思いましたけど。今のように簡単に検索できる時代でもなかったので、勝手にホステスさんとかをイメージして、仕事の内容もまったく分からないまま面接に行きました。

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 でも、日給1万円以上というのと、幼少期から憧れていた裸の世界への思いもあって、そのお店で働き始めました。

「君、なんでここにいるの?」初めての風俗店で覚えた挫折感

――実際に働いてみてどうでしたか。

紅子 そこで初めて男性に性的なサービスをしたんですけど、慣れていなくて下手だったんです。だから、そこでもダメな奴という扱いで。「君、なんでここにいるの?」という感じで、お店の人にもお客さんにも、まったく好かれませんでした。裸になる世界にずっと憧れていたのに、自分は裸になっても受け入れられないんだ、という挫折感がありました。

 そのピンサロはすぐに辞めちゃったんですけど、その後も生活していかないといけないので、都内の風俗店を転々としていました。当時はネットがないので、風俗の求人誌とかを買い漁って応募して。

――ほかのお店で挫折感を拭えましたか?

紅子 いや、ほかのお店でも気持ち悪がられてしまいました。とくに覚えているのが、渋谷のピンサロで働いているときですね。ガングロで茶髪のきれいなお姉さんがたくさんいるなかで、私は長いスカートを穿いて地味な恰好だったから「なんだこの子は」という感じで。

 しかも、「みんなで一緒に話そう」となって会話したときに、私がキムタクを知らないと言ったら、「あなた、キムタクも知らないの?」と冷たい視線を向けられてしまって。

 

焼却炉や廃材、トタンを描いて自分と重ねていた

――ちなみに、風俗で働くようになってからも、絵の勉強は続けていたのですか。

紅子 一応続けていました。高校課程が終わったあと、専門課程で2年、さらにその上の研究課程で1年、計3年学んで専門学校を卒業しました。ただ、風俗で働くようになってからは、学校に行かない時期も結構あって。

――当時はどういう絵を描いていたのでしょう。

紅子 焼却炉とか、廃材、トタンなんかをよく描いていました。

――ご自身の中で惹かれる部分があった?

紅子 自分自身と重ねていた部分があったのかなと思います。錆びた鉄くずや廃材の儚いイメージだったり、孤独な感じが、自分の生い立ちや生き方につながっている気がしていました。

撮影=杉山秀樹/文藝春秋

INFORMATION

【写真集出版記念個展】
日程:2024/1/23(火)~2/4(日)
※月曜日は休み
時間:13時~20時
場所:モアレホテル吉原
https://www.moire.co.jp/
入場料:500円(限定プレゼント付)