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 兄は高校卒業後、第二志望の大学に合格し、入学を決めました。ところが両親は、お金もないくせに、浪人してもレベルが上の第一志望を目指すよう兄にしつこく勧めましたが、兄は親の期待を完全無視して我が道を進みました。そのため、大学卒業後は大手の会社に勤務し、順調に出世して家庭も持ち、両親よりも幸せな人生を送っています。

 兄の卒業した大学は、決して社会的に評価が低い大学ではありませんでしたが、両親は納得せず、僕にはどうしても一流大学に入れと口うるさく言ってきたのです。

 僕は一浪し、予備校に通った末、親が認める大学に合格することができました。合格できたのは僕も嬉しかったですし、大学4年間は充実していました。社会の「勝ち組」になったような気さえしていたかもしれません。

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 その後、社会からこれでもかというほど「負け組」の烙印を押され続けるとは……あの頃の僕には想像もできませんでした。

作家を目指して

 ターニングポイントは大学院への進学です。ここから、後戻りができなくなりました。本当に心から後悔しています。

 僕は、学部では社会学を学んでいましたが、大学3年の頃から作家になりたいと思い、雑誌に応募するようになりました。書くことに夢中になっていて就職活動の時期を逃してしまったんです。就職したいと思っていたわけではなかったのですが……。

 今考えれば、たとえ何年かでも会社勤めの経験をしておけばよかったと後悔しています。大学院進学は、いわばモラトリアムというか、デビュー待機ですね。2年の間に文学賞に入選して道が開ければと考えていましたが、叶いませんでした。

 僕は、小説よりも文芸評論を書きたいと思うようになり、国立大学の文学部の大学院に入り直したのです。以前の大学より自分の学びたいテーマに合っていて、修士論文もそれなりによく書けていたと思います。

 博士課程に進学するまでは比較的順調だったのですが、研究は行き詰まり、応募を続けていた雑誌からも反応はないまま30歳になってしまいました。他の学生の中には、早い段階で見切りをつけて出版社等に就職していく人たちもいましたが、ここでも僕は乗り遅れ、就職のチャンスを逃してしまったんです。

 僕は極端な話、ジャンルは何でも構わないので、とにかく、書く仕事がしたかったのです。この頃はまだ30歳でしたから、とにかく作品を仕上げて雑誌に応募し、出版社に持ち込もうと自宅で執筆に専念するつもりでした。

 僕はずっと実家暮らしですが、両親は兄よりも高学歴難民生活を続ける僕の方を応援してくれていました。特に父親は、「それだけの学歴を持ってる人はなかなかいないんだから、自信持って頑張れ」と僕を応援し続けてくれていました。

 父の言うことは、たいてい間違っているのです。