〈(出発から)2時間後、突如クマザサが途切れ、呆気なく登山道に飛び出した。嬉しさのあまり、再び妻に「道に出た」とメールした。それは大常木谷からモリ尾根を経て、人里のある一ノ瀬高橋へと続いている大常木林道だった。林道に出て歩き出すと、間もなくして水道局の標識が現れた。1週間ぶりに人工物を見て感激し、携帯電話で写真を撮った。遭難している間に写した写真は、前夜のビバーク地とその標識の2枚だけだった〉(前掲書)
携帯が通じるようになっていたので110番をプッシュし、「山で行方不明になっていたSです」と告げると、「あっ」と声をあげた相手が「今どこですか」と言ったところでバッテリーが切れた。だが位置情報を辿って、やがてミニパトカーが到着し、Sさんは無事保護され、病院へと搬送された。
〈入院は3日間に及び、カルテには「脱水症状」「飢餓状態」「内臓障害」と記された。肝臓にダメージがあり、両膝から下は茶色く鬱血してパンパンに腫れ上がっていた。体重は5、6キロ落ち、着ていた服を洗ってくれた娘には「獣の臭いがした」と言われた。娘も妻も、もう諦めていて、生還するとは思ってもいなかったようだ〉(前掲書)
8日間もサバイバルできた理由
Sさんは実に8日間もの間、山中を彷徨ったわけだが、改めて驚くのは、そのささやかすぎる装備である。前述した服と食料の他には〈ザックにぎりぎり入る大きさのスケッチブック2冊、水彩絵の具、ラジオ、携帯電話、ゴミ袋、財布〉ぐらいしか持たず、山に入るときはいつも持っていくガスストーブとコッヘルも、〈今回は山小屋で弁当を作ってもらうつもりだったので、持ってこなかった〉という。これでよくぞ山中で8日間もサバイバルしたものだと思うが、羽根田はこう指摘する。
「Sさんも認めていましたが装備は不十分です。それでも生還できたのは、8日間の間、ほぼ好天が続く幸運に恵まれたことが大きい。残雪期の春山ですから朝晩はかなり冷え込みますし、もしまとまった雨が降っていたら、衣服が濡れて低体温症になっていた可能性もあります」
装備ということでいえば、ベテラン登山者でも意外と持って行かないが、山で生死を分ける可能性が高いのは、「ツェルト(簡易テント)」だという。