〈寝るときは、持っている衣服をすべて着込んだ(ジーンズ、靴下、ランニングシャツ、Tシャツ2枚、薄手のセーター、街着のジャンパー、100円ショップのレインコート、トレッキングシューズ)。「山と高原地図」を巻き付けた足をザックの中に突っ込み、寒さをしのいだ〉(前掲書)
遭難翌日には食料が底をついた
翌日は途中断崖に行き当たりながらも、時間をかけて慎重に沢に下りていくが、時間切れで、河原でまたビバーク。持っていたチーズやソーセージ、ゼリー飲料などの数少ない食料は既に前日の段階でほとんど食べてしまっていた。ラジオでは、自分が行方不明になっていることが報道されて、翌日からヘリコプターと地上部隊による捜索が始まることを知った。Sさんは登山計画書こそ出していなかったが、家族には三条ノ湯と雲取山荘に2泊してから帰ることを伝えていたため、家族が警察に捜索願を出したのである。
遭難3日目、沢の下降をしている最中、段差を飛び降りようとして残雪でバランスを崩し、顔から落ちて唇と後頭部を切ってしまう。幸い出血は止まったが、沢沿いに下っていくことの無謀を痛感したという。このあたりからSさんの記憶はあいまいとなっていく。
〈以降、ビバークを繰り返しながら山中を彷徨するのだが、日にちと場所の記憶がはっきりしない。Sの断片的な証言をもとに推測すると、モリ尾根に登ったのち、喉の渇きに耐えかね、1532メートルピークのあたりから見えた竜喰(りゅうばみ)谷へと下ったようだ。その間に要した日数は7日から11日までの5日間〉(前掲書)
つまり4日に遭難してから、既に8日間が経過していることになる。後の検証によると、その途中ですんなり下山できるルートにも近づいているのだが、見過ごしてしまっていたようだ。
食料が無くなってからはクマザサの芽の柔らかい部分を齧り、ヤマツツジの花の蜜を吸って飢えをしのいだという。携帯電話で助けを求めようにも、常に「圏外」で繋がらなかった。
妻にメール「今日こそ下山したい」
迎えた5月12日。ラジオで翌日から天気が崩れることを知ったSさんは、「今日こそ下山したいです」と妻にメールを打つと朝5時から行動を開始。そして、ついにその瞬間が訪れる。