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〈打ちあげの日、六本木の自由劇場でバカ騒ぎが始まった〉と大滝は回顧している。

〈それが一段落して寝る人は寝袋で寝たり。オレは端のほうで横になってたら、はるかかなたで約1名、一升ビン枕にしてトグロ巻いてんだよ(笑)。聞いてると、「はっぴいえんど」の話らしいんだね。その青二才、酒飲んで、隣のオッサンにからんでンだ〉(*3)

 その「隣のオッサン」こそ細野晴臣だった。細野によれば、からんできた青二才は大阪の「ごまのはえ」というバンドでリードギターを務める伊藤銀次だという。

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©文藝春秋

 しばらくして大滝は、そのごまのはえのプロデュースをしないかと持ちかけられ、大阪まで彼らのライブを見にいった。それが1972年12月のこと。

 ライブの終演後、伊藤と南海ホークスの話で意気投合した大滝は、彼らのプロデュースを手がけることを決め、メンバーを福生に呼びよせた。共同生活を送るためだ。

 1973年3月、伊藤は楽器車にいっさいがっさいの荷物を載せ、ごまのはえの面々とともに上京した。伊藤がこのときを振りかえる。

〈早朝についたら向こうからちゃんちゃんこ着て自転車に乗って、よー来たかーなんて言って。これが大滝さんなんだって思って(笑)。またあそこ(注:福生)の景色と合ってるんだよね。何かほんとに牧歌的なところでね〉(*5)

 大滝は彼らごまのはえを、その楽器練習もかねてCM曲のレコーディングに起用した。

 夏ごろ、ブルボン・ココナッツコーンのCM曲をレコーディングした際には、商品名にちなみ、バンド名をごまのはえから「ココナツ・バンク」に改めるよう要請した。

 こうしてCM曲の制作とプロデュース・ワークが緒に就きだしたころ、はっぴいえんどのメンバーたちが新たに始めたプロジェクトをお披露目する企画が持ちあがった。

“鬼の軍曹”と化した大滝詠一

 はっぴいえんどの4人もステージに立つ、彼らのラスト・コンサートと銘打った公演「CITY - Last Time Around」である。

 大滝は9月21日に開催されるこのコンサートでココナツ・バンクを顔見せするため、ボーカルに難のある彼らの特訓を開始した。

〈これはすごかった。鬼の軍曹と化したから俺は〉と大滝が振りかえるのに対し、伊藤が応じる。〈歌唱指導されましたからね。大滝さんがピアノに座って、この音出せって。そんなに低い声じゃだめだって〉(*5)