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大滝詠一が振り返る山下達郎と出会った1973年「わが生涯、輝ける最良の年」「素敵な連中とあの時代に出逢えて幸せだった」

大滝詠一が振り返る山下達郎と出会った1973年「わが生涯、輝ける最良の年」「素敵な連中とあの時代に出逢えて幸せだった」

大滝詠一没後10年#1

2023/12/30
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 猛練習は8月から本番当日まで連日つづいた。大滝は休みを入れる暇などないといって徹底的にしごいた。

 しかしわずかに1日だけ休みが出た。

 伊藤は上京したてだったため、東京に不案内だった。そこでココナツ・バンクのメンバーである駒沢裕城に連れられ、駒沢と同じくはちみつぱいのメンバーだった和田博巳が営むロック喫茶、高円寺のムーヴィンに向かった。

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 ムーンライダーズの前身バンドであるはちみつぱいは、鈴木慶一らを中心に結成され、ギターを本多信介が担当していた。この本多と渋谷のロック喫茶、ブラックホークで知り合い、交流を持っていたのが山下達郎だった。

 山下は中高生のころから続けてきた音楽活動の成果をかたちとして残すため、仲間とレコードを自主制作していた。

 そのレコーディングに際し、本多から小さなアンプを借りたお礼として、彼はできあがったレコードを本多に渡した。そしてレコードは本多を経て、和田のいるムーヴィンにたどり着いた。

 たった1日だけの休日をムーヴィンで過ごしていた伊藤の耳に、ビーチ・ボーイズの美しいハーモニーが流れこんできた。

 だが次の瞬間に〈あれッと思った〉と伊藤はいう。〈ビーチボーイズにしては音質が違うし、コーラスもよく聴くと違うのね。これはいったいだれだろうって〉(*3)

 店番をしていた女性に尋ねたところ、それがビーチ・ボーイズのカバーを収録する、山下による自主制作盤『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』だった。

〈それを銀次が持ち帰って、“てえへんだ、てえへんだ”ってことになって、早速聴いた。これはすごいと〉(*6)

 大滝もレコードを聴き、仰天して、この声の主を9月のコンサートに出演させようと考えた。

 裏ジャケットに記載された代表者の電話番号を頼りに、幾人かを介して、なんとか山下とコンタクトが取れた。

 そして1973年8月18日、山下が大滝の住む福生にやってきた。

「ナメられちゃいけない」そう思った山下が持参したレコード

 山下はこのとき大滝の好きなガール・グループ、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」を作曲したエリー・グリニッチのシングル盤「I Want You To Be My Baby」を携行した。

〈ナメられちゃいけない〉と思い、大滝に刺さる、インパクトの強いレコードを持っていったのだと山下は語っている。