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溝も浅くツルツル坊主の頼りないスペアタイヤ

 怖い…昨年3月、ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まって2週間後、西部ポーランド国境の町、リビウからすでにロシア軍により包囲されつつあった首都キーウに向かったときより怖い。あの時は救急車に外科医イゴールと運転手のルスランと3人いっしょだった(参考『ウクライナ戦記 不肖・宮嶋最後の戦場』文藝春秋刊)。しかし今は一人である。道がやや広くなり速度をやや上げたその瞬間であった。前輪が裂け目に落ち込みガツンという金属音と破裂音とともに衝撃があり、ハンドルが、ガタガタ異様な振動を伴った。

 すぐ車を停め、車外に飛び出る。まさか…やはり左前輪がパンクしていた。よりによってこんなときにである。しかも駆動輪、車外は肌を刺す寒さである。この山中である。インパネの外気温は2度を指していた。それでもタイヤ交換するしかない。JAFもここまでは来ない。後部スペースに積み込んだ携行缶や機材を全部おろし、スペアタイヤを捜す。あった…が懐中電灯の光で浮かび上がった黄色いホイールのそれはあまりにも細く、溝も浅くツルツル状態の坊主。これなら雪が降ったら走れない。

 しかし今はこれしかないのである。慣れない手つきでジャッキアップして、L型レンチを蹴り坂道を転げ落ちないようナットを取り外し、こんどはツルツルのスペアを取付け、ナットを締め付ける。それにしても見れば見るほど細い。しかも接地面が丸い。これやったらちょっとした裂け目に落としたら再びパンクである。しかしその時はもはやスペアはないのである。

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 それはすなわち遭難である。さっき見た乗り捨てられた車のようになる。もはや引き返すより、行く方が近い。覚悟を決めアクセルを再びふみこんだ。こんな決断を40年のカメラマン生活で何度してきたことであろう。これからもすることになるのであろうか。もうこれを最後の現場にしてもらいたい。しかしまだ能登は復旧、復興…どころか100名以上(1月10日現在)の行方不明者が倒壊した家屋の下敷きとなり、救助を待っているのである。