峠を抜け輪島市門前町に入った。なんとかタイヤはもった。ここまでであるが。しかし被害がもっとも大きい輪島市街地はまだもう少し先である。消防車のコンボイは国道249号線を左折、灯りが消えたままの集落に向かったが、こちらは右折し、市街地を目指す…つもりだったが、もはや国道の面影もない。土砂崩れを避け細い脇道を抜けたところで、すぐに対向車がすれ違いだした。対向車最後尾の車を運転していた兄ちゃんが窓を開けて叫んでいる。

「ダメだ! とても通れない!」

門前町 ©宮嶋茂樹

路面は割れ、鋭利な刃物のごとく裂け目だらけだった

 それでも恐る恐る進む。「道が…道そのものがない」土砂崩れではない、道路ごと崩落しとるのである。

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 もはやここまでである。時間は22時近くになっていた。Uターンし門前に戻ろうとするが、ここの集落自体もすさまじい状況である。平時なら、いや今は正月である。例年なら帰省した家族とともに山菜鍋を囲み、締めの雑煮をつついている頃である。真っ暗な通りには人の気配が全くしない。橋は隆起しスペアのタイヤでは段差を越えることもままならず、ヘッドライトのみで照らされる路面には鋭利な刃物のごとく裂け目が潜む。今度そんなとこにタイヤが落ち込むと即またパンク、今度こそ、そこで乗り捨てるしかない。

 そんなことになったらただでさえ狭い道緊急車両の通行の妨げになり、とんでもない迷惑を被災地にかけることになる。不肖・宮嶋の放置した車のせいで救える命が救えなかったなんてあってはならんのである。10キロもださず、真っ暗な集落を進む。八ヶ川のほとりに灯りが見える。つい1時間前まで峠道でまえを走っていた消防車の一団らしき赤い車両が10台ほど止まっていた。

 携帯電話は通じないが、4Gの電波は微弱ながらところどころ来ているようである。それでも避難所がどこなのか、そこにどうやってたどり着くかインターネットでも教えてくれんし、道を歩く人もいない。被災された方々はどこに集い、どうやって暖をとり、はたして眠りについているのかもさえも知れない。冷たい雨はますます強くなり、不肖・宮嶋がたどり着いたのは崩落した道路を登り切った避難所の一つ、門前中学校であった。グラウンドはおろか周囲の崩落しかけた道路にまで車が停まっているが、灯りがまったく漏れてこない。これまた壁が一部崩落しかけた体育館にも人の気配がしない。