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恐怖、絶望、苦難に追い打ちをかける肌を刺す寒さ

 目の前に広がる惨劇が現実だと悟るにしばらく時間を要した。不肖・宮嶋を現実に引き戻し、さらに、ここに残された住民が味わった恐怖、絶望、苦難に追い打ちをかけるのは肌を刺す寒さである。

 不肖・宮嶋、報道カメラマン生活40年、様々な修羅場、地獄絵図を目の当たりにしてきた。地震、津波、火災だけでも阪神淡路、中越沖、スマトラ島沖、熊本、トルコ、そして東日本大震災での東北等々。破壊と殺戮なら昨年ウクライナで見たばかりである。しかし能登の惨状は…。いまだ正確な数さえ分らぬ200人以上(1月10日現在)の犠牲者と行方不明の全員が女性、子供、お年寄りを含む無垢の普通の市民なのである。

 いまだブスブスと白煙と異臭を放ち続ける輪島朝市の火災は1995年の阪神淡路大震災で発生した神戸市の長田の焼け跡を思いおこさせる…いやそれより、ひどいかもしれぬ。この焼け跡の下には逃げ遅れた住民がまだいるはずである。ここはかつてお土産物屋や飲食店が並び、多くの観光客でにぎわっていた。その多くは輪島塗りの漆器を取り扱っていたのである。

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©宮嶋茂樹

 あの正月早々テレビ画面でも流れていた倒壊した7階建てのビルも漆器を扱う会社である。それが、今醜い漆黒と赤さびの焼け跡と瓦礫に変わり果ててしもうたのである。輪島といえば、輪島塗りのブランドで有名な漆器の町である。町中いたるところに漆器を扱う店が並び、漆器にまつわる博物館や美術館まである。

 こんな輪島市のような町村がここ能登半島にはまだまだあるのである。現地の民の苦難はいましばらく続き、われら日本人もしばらくいばらの道を歩くことになるであろう。阪神淡路を経験し、東日本大震災を耐え、復興してきた、良心がある日本人はそれに耐えれるはずである。