侑夏さんは中学3年生の夏に、博多高校で剣道部の顧問Aから剣道部の特待生として迎えたいと誘いを受けた。特待生ともなればプレッシャーはさらに増すことになるため、母親は顧問Aに練習量などについて確認をしたという。
「私が気になっていたのは、遠征会の頻度、練習の量、練習は男女別か、などでした。それを尋ねるとA先生は『遠征は数えるほどしかない』『練習は男女一緒だが侑夏さんならついてこられるレベル』と答えました。もう1人顧問のB先生もいるが、男子の練習を見ると言っていました。でも実態は全くその言葉とは違っていました」(同前)
そして2020年4月、侑夏さんは博多高校へ進学し、剣道部に入部した。コロナ禍で5月末までは部活ができなかったが、6月になって剣道部の練習が始まると早々に侑夏さんは怪我をして足を引きずって帰ってきたという。
「ブランク明けでもありますし、最初はストレッチなどの体づくりをするのかと思っていたら、いきなり1時間で3キロのランニングに素振り1800本をこなすというハードなものでした。しかも500本は跳躍素振りというさらに負荷の高いもの。侑夏が亡くなったあとに自分でもやってみましたが、これは大人でもキツイ量です。ランニングが移動を含めて30分前後だとすると、残りの30分で1800本の素振りをこなす必要があります。要領よく手を抜いたりすればともかく、侑夏は性格的に真面目にやろうとしたのでしょう。足首の靭帯を痛めてしまったのですが、休むとB先生から暴言を浴びせられると怯えて無理に練習に参加していました」(同前)
しかし足首の痛みが原因で練習についていけない侑夏さんに、顧問AとBは、「貴様、やる気あんのか?」と罵声を浴びせ、何度も張り倒したという。
「侑夏が一番攻撃されていた」
侑夏さんは6月15日には自分のノートに「多少無理するくらいで練習に参加する」と書いていたが、6月末になると「学校に行きたくない」というようになった。
7月の対外試合では、顧問Bから「良いところなしの試合」と評価されたこと、「そんな試合するなら試合に出させんぞ」と言われたとノートには書かれている。また強豪校との試合の後には、「負けて当たり前と思っていないか?」「押されっぱなしで全く前に出れていない印象」とも言われている。
7月18日に母親が練習を見にいくと、顧問Bが罵声を浴びせながら部員に説教する場面に出くわした。
「練習中に生徒に向かってこんな暴言を吐く人がいるのか、と驚きました。分かったのは、B先生は以前からずっと暴力的な指導を続けていて、特に剣道がうまい子に対しては力を誇示していたそうです。侑夏は『私だけが攻撃されてるっていうわけではないけれど……』と話していましたが、自殺後に部内で取られたアンケートでは《一年生の特待生は対象だったけれど、侑夏が一番攻撃されていた》と書く人もいました」