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「自分の体は汚い」「湯船に入れない」父親からの性虐待を告発 塚原たえさんが生番組で明かした“壊れたままの心”

source : 文藝春秋 電子版オリジナル

genre : ニュース, 社会, オピニオン, ウェビナー

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 秋山 斉藤さんにお訊ねしたいのですが、家庭内での性加害では、塚原さんのケースのように数年がかりのグルーミングが行われるものなのでしょうか。

 斉藤 性加害は、家庭内で行われるケースと、見ず知らずの他人同士など家庭外で行われるケースの2パターンに大きく分けることができます。両方に共通しているのは、背景に圧倒的な力の差がある中で起きる点です。

 塚原さんのケースでは、父親が権力ピラミッドの頂点に君臨していた。そして、塚原さんだけでなく、母親や弟も暴力で支配されていた。このような関係では、加害者はやりたい放題になります。一方、家庭外で起きる子どもへの性加害は、やりたい放題というよりは、徐々に境界線を侵していくのが特徴的です。

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 つまり、子どもが受ける性加害は、家庭の内と外で切り分けて考える必要があるわけですが、背景にある力関係は同じだと思います。

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被害者は自責してしまう

 秋山 斉藤さんの著書には「加害者は、加害記憶を早期に忘却する」というようなお話がありました。塚原さんのお話にもありましたが、父親は今も生きていて、少し前には手紙を送ってきている。その手紙には、自分が性加害をしたことなどは全く忘れたかのように、仲良く振る舞うような内容が書かれている。これが加害者の常識なのでしょうか。

 斉藤 はい、そうなんですよね。被害者は、被害の記憶を忘却できないのですが、加害者は、自身の加害行為を自由自在に思い出したり忘れたりすることができるわけです。

 被害者側は思い出したくもないのに思い出してしまう。けれども、加害者はその記憶を自分で上手くコントロールしている。加害の記憶を思い出すことで自慰行為を繰り返す加害者もいます。一方で、酷い行為を行っていると思いたくないから普段の生活では加害記憶を忘却してしまう。

 このように、加害者と被害者の間には、記憶の非対称性の問題があると考えています。

 もう一つ、被害者意識を加害者が抱く一方で、加害者意識を被害者が抱くといった問題もあります。「暗い道を一人で歩いていたからだ」「露出の多い服を着ていたからだ」などと、加害者が被害者を責めることがよくあるんですね。

 一方で、全く悪くないはずの被害者が自責するんです。「被害を受けたのは自分に非があったのではないか」「自分がもっと良い子にしていればお父さんはこういう暴力を振るわないんじゃないか」「学校でもっと良い成績を取ればよかったんじゃないか」など、自責をしてしまう被害者が少なくありません。

「加害者の他責」と「被害者の自責」とよく言うんですが、この問題は社会構造に根ざしているものです。

 例えば、日本社会では、「イヤよイヤよも好きのうち」なんて価値観もありますが、これは「加害者の他責」と「被害者の自責」の両方を強化してしまいます。男尊女卑の価値観も同様の弊害をもたらします。

 このような構造的問題に目を向けると、塚原さんの告発には非常に重要な意義があったと考えています。「あなたの加害行為で私は今も苦しんでいるんだ」と、加害者に突きつけたわけですから。

 秋山 (塚原さんの叔母で女優の)藤田三保子さんの記事で、加害者である父親の生育歴の話が出て来ます。その父親も子どものころにかなり激しい虐待に遭っていたと。