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高橋 鶴見俊輔さんは息子に「自殺していいか?」と聞かれたさい、「してもいい、二つのときにだ。戦争にひきだされて敵を殺せと命令された場合、敵を殺したくなかったら、自殺したらいい。君は男だから、女を強姦しそうになったら、その前に死んだらいい」と即答しています。

 普通、重大な問題には軽々と答えず熟慮したほうがいいと思われていますが、逆なんですよね。人生で重大な問題ほど、即答したほうがいい。それもひとつ師の役割かもしれません。僕は鶴見さんに倣って、大学で教えていた頃、新入生のための5回の特別ゼミの最終日には、学生たちに「どんな質問をしてもいいよ」と言って答えることにしていました。もちろん即答です。「何のために結婚するですか?」とか、14年やって、4000人くらいからの質問にすべて答えました(笑)。

高橋源一郎さん(奥)と内田樹さん(手前)

内田 すごい!

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高橋 これって一々考えてから答えていたら即答できないんです。でも、「身体」は「自分」の答えを知っています。正解を答える必要はなく、自分にとっての答えを伝えればいいわけです。というか、そもそも、この世界で起きる問題に正解なんてないものだしね。そして、それが、なぜか、生徒からの質問へのいちばんの回答になる。さっきの小説のときとは正反対ですが、身体性がすべてに優先している。鶴見さんの考え方の根本にあるのは、身体性に基づいたプラグマティズムなんですね。

内田 鶴見さんの原点は、ハーバード大学を出るときに敵国民として捕まって、監獄に入れられていた体験にあると思うんです。そのとき、最後の交換船で出国するわけですけれども、このとき逡巡せずに即答する。「帰ります」って。鶴見さんにはこの戦争で日本が負けることはわかっていたし、大日本帝国の戦争指導部に一片の共感も感じていなかった。でも、負けるときは負ける側にいたいと思った。この話を鶴見さんは繰り返し書いていますよね。でも、それはたぶん鶴見さん自身にも、自分がなぜあんな決断をしたのかがわからなかったからだと思うんです。なぜ、自分は敗けるとわかっている国に戻ると即答したのか。その「わからない自分」を一生の宿題にした人のような気がします。

高橋 ちょっと卑近な話でいうと、僕5回結婚してるんですが(笑)、やっぱりさっさと決断してきたわけです。

内田 そのつど、即答してきたの!? 

高橋 うん、即答(笑)。それで後悔をしたことはない。いや、正確にいうと、失敗はいっぱいしているんだけど(笑)、後悔はしていません。そのとき、そう思った身体の判断は尊重しないといけないと思う。その後は、そこから発生する責務を粛々と負えばいいだけだから。何か大事なことを決めるときに熟慮するのは、実は変だという感覚が、ずっとあるんだよね。

内田 それは、僕も全く同じ意見ですね。人生の岐路では、身体の声に直感的にしたがったほうがいい。成熟のもう一つの側面とは即答力である、ということで今日の話は締めくくりたいと思います(笑)。

高橋 ありがとうございました。

(紀伊國屋書店新宿本店にて)

内田樹『街場の成熟論』(文藝春秋)
高橋源一郎『ぼくらの戦争なんだぜ』(朝日新聞出版)

内田樹(うちだ・たつる)

1950年、東京都生まれ。思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授、凱風館館長。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞、『日本辺境論』で新書大賞を受賞。他の著書に、『ためらいの倫理学』『レヴィナスと愛の現象学』『サル化する世界』『日本習合論』『コモンの再生』『コロナ後の世界』、編著に『人口減少社会の未来学』などがある。

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年、広島県生まれ。作家、明治学院大学名誉教授。81年『さようなら、ギャングたち』で群像新人長篇小説賞優秀作受賞。88年『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、2002年『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、12年『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。著書に『ニッポンの小説』『「悪」と戦う』『ぼくらの民主主義なんだぜ』『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』『ぼくらの戦争なんだぜ』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』『一億三千万人のための「歎異抄」』他多数。