『Q』(呉勝浩 著)小学館

 昨年、初めてペンライトを振った。ファンで埋め尽くされた東京ドームの2階席。ドン・キホーテで購入した「大閃光ブレード」を掲げ、アイドルに声援を送った。ステージを囲む星々のひとつになるとき、味わったことのない陶酔感に包まれたことを覚えている。

『Q』は700ページ弱にわたって描かれるバイオレンスハードボイルドであり、クライムサスペンスであり、ミステリーであり、サクセスストーリーであり、ラブストーリーだ。そしてこれは「推す」者たちの物語である。

 見る者の魂を魅了するダンスの才を持つ少年「キュウ」。キュウのふたりの姉「ハチ」と「ロク」は、彼をより輝かせ、より高い場所へ押し上げるために奔走する。三姉弟の背後にはとある殺人にまつわる過去が横たわり、行く先には溢れ出る才能を利用しようとする大人たちの思惑が幾重にもなって立ちふさがる。地面にへばりついたガムのような貧困。人を売り買いする資本家。暴力と支配。嘘で塗り固められたブランドイメージ。蔓延するコロナウイルス。陰謀論。抜け出せないしがらみと閉塞感の中、唯一キュウだけがそれを鼻で笑い、群衆の頭上で軽やかに踊っている。

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「推し活」という言葉が流行してしばらく経つ。なぜヒトはヒトを「推し」たいと思うのだろう。

 膨大な資産をキュウの才能に注ぎ、コントロールしようとする百瀬は「美の到達点は、思考の強奪にほかならない」と語る。美しいものを前にして言葉を失い、崩れ落ちて膝をつく。そのとき感じる恍惚は、すなわち世界から己を引き剥がして世界そのものと一体化するときの恍惚ではないか。

 もう、この世界に投げ込まれた“主体”という座から降りてしまいたい。かわりに、より理想的な姿をした偶像を中央に据え、世界そのものが新しく作り変えられるところを、世界に溶けたまま感じていたい――そんな欲求が、人間の心の奥底にひそんでいる気がしてならない。私たちは、この世界に紐づけられた肉体の煩わしさを知っている。だからこそ、本当の美と幸福は自分で受け取ることができず、空想上の玉座に見出すしかない。

 かつてそこに座っていたのは神だった。やがて国家や理念がとって代わった。そして現在、世界中に広まった資本主義のうねりは、人々の思考を強奪してくれる究極の他者を探しながら拡大している。物質的な欠乏も過剰も、「推し」さえいれば関係ないし、なんでも犠牲にできる。犠牲とは、崇高な嘘のために身と心を捧げる悦楽だからだ。天才的パフォーマーであるキュウ=Qは、彼を目にする者たちを観客席に座らせてしまう。永遠に解けない謎であり空虚な穴。その周辺で争い、犠牲になり倒れていく人々の姿を見るとき、私は心底彼らが羨ましいと思った。

ごかつひろ/1981年青森県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒業。2015年『道徳の時間』で江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。18年『白い衝動』で大藪春彦賞受賞、20年『スワン』で吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞受賞。
 

しなだゆう/東京都出身。作家。著書に『キリンに雷が落ちてどうする』等。ダ・ヴィンチ・恐山名義でライターとしても活動中。