「大物長官」に抜擢された栗田
同時期、栗田にも飛躍の時が訪れていた。企業開示課長を経て、2013年に金融庁長官の「必修コース」である銀行1課長に就任し、大手行を監督。巨大組織を持て余すかのようなメガバンクの企業統治にターゲットを絞り、行員、投資家の双方にとって透明度の高い経営を求めた。
この時に直面したのが、みずほ銀行の反社会的勢力との取引問題だ。銀行の責任を厳しく追及するのはもちろんだが、栗田が考えたのはそれだけではなかった。若手に対し、こう宣言した。
「銀行だけでなく、金融行政としても再発防止策を探りたい」
その結果生まれたのが、警察の持つ暴力団や半グレ、詐欺集団らの反社リストを、銀行から照会できる仕組みである。
もちろん、警察庁がすんなり首を縦に振ったわけではない。「リストが万全のものか、自信があったわけではない」(警察庁OB)からだ。本来秘匿すべき個人情報を、一部とはいえ民間企業に提供することへの抵抗感もあった。それでも実現にこぎ着けたのは、栗田が「社会の安全と正義を守る」という公益を主張し、粘り続けたからだろう。
2018年、金融庁の監督局参事官になっていた栗田は、長官だった森信親(昭和55年、同)から突如、監督局長に指名された。「どう考えても3年は早い抜擢人事」(元局長)で、年次を最優先する霞が関の常識からは、かけ離れた人事だった。
森は安倍政権の官房長官だった菅義偉に可愛がられ、金融庁長官として3年在任。「大物長官」と言われ、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の人事などにも介入した。その専横な振る舞いや傲慢さに、眉をひそめる同僚や後輩は少なくなかった。
大手生保出身の経営コンサルタントと、癒着と言われても仕方がない関係にあることも、一部の側近は知っていた。高級ワインを好み、ミシュランの星が付いた品川近辺のフレンチレストランで目撃されたこともある。コンサルの招待で損保首脳と会食したのではないか、と噂された。もし金融機関から度を超えた接待を受けていたとしたら、長官失格だけでは済まされない。
2017年5月、森は読売新聞社の講演会でスルガ銀行の高収益性を褒めたたえたことがあった。ただ、スルガ銀行のビジネスに危ない案件があることは、金融界では常識だった。2018年に投資用マンションを巡る不正融資事件が発覚すると、スルガ銀行だけでなく森の信用も失墜した。金融庁ではいまも、森について語ることを憚る雰囲気がある。森の後を継いで長官となった遠藤俊英(昭和57年、同)は、「一時は森によって長官コースから外された」と囁かれ、遠藤自身も「森嫌い」を隠そうとしなかった。
話を栗田に戻すと、彼が森に気に入られていたのは間違いない。それでも遠藤、氷見野良三(昭和58年、旧大蔵省。現・日銀副総裁)、理系出身の中島淳一(昭和60年、旧大蔵省)と、続く3代の長官も栗田を重用し続けた。その事実が栗田の実力を証明している。
監督局長を4年務め、金融持ち株会社にガバナンスの責任を持たせる監督方式を定着させたのは栗田だ。
「遠藤、氷見野、中島が、栗田の異例の長期在任の経験を買ったのはもちろんだが、栗田は森にそれほどなびかなかった。周囲もそれが分かっていたから、長官コースを走り続けられたのではないか」(局長級幹部)
決して森の“子分”にはならない、栗田の持ち前のクールさが功を奏したのだろう。だがそれでも、栗田を「森長官のえこひいき人事の申し子」と揶揄する声は庁内に燻っている。(文中敬称略)
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本記事の全文「金融庁の本命と対抗 ビッグモーター問題で共闘、「ともに1963年生まれ」長官と局長の去就」は、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。