「モンスターウルフ」を見つけて…
ようやく札幌での仕事にカタをつけた内山が現地に入ったのは、OSOによる襲撃が始まってから4年目となる2022年6月末のこと。この年はまだOSOによる被害は出ていなかったが、前年までの3年間で57頭の牛が襲われ、26頭が死亡していた。
JR釧路駅に降り立った内山は、レンタカーを走らせて標津町を目指した。そこにはNPO法人「南知床・ヒグマ情報センター」の藤本靖がいる。この約5カ月後に北海道の委託を受けて「OSO18特別対策班」リーダーに就任することになる藤本とは、2005年に中標津支局に赴任した当初からの付き合いで、まずはその藤本がOSOをどう見ているのかを聞いておきたかったのである。
国道272号を標津町に向かって北上すると、途中OSOの被害が多発している標茶町阿歴内を通る。ふと窓外に目をやると、放牧地の柵沿いに設置された「モンスターウルフ」に気付いた。「モンスターウルフ」とは光と音で野生動物を威嚇し、侵入を防ぐオオカミを模した忌避装置で、OSO対策として設置されたものである。内山は車を降りた。
「ササやぶを漕いで、モンスターウルフの近くまで行って写真を撮ったんです。ただ自分一人で周りに誰もいないし、ここでOSOが出てきたらまずいよな、とは思いました」
写真を撮り終えるとそそくさと車に戻り、標津町へと向かう。
「自分が襲われていたかもしれない」
その2日後、取材を終えた内山は帰り道にふと気になって、少し遠回りして再びその場所を通りかかった。すると、2日前には誰もいなかった場所に車が何台も停められているのが目に入った。車体に「標茶町」の文字が入った車もある。
「これはもしかして……」。急いで車を降りた内山が砂利道を歩いていくと、案の定、銃を持ったハンターや役場関係者が集まっていた。やがて牛の死骸が重機で運ばれてきた。
内山は2022年最初のOSOによるものと思われる被害現場に偶然出くわしたのである(後に現場に残された体毛のDNA鑑定によりOSOと断定)。少し遅れて現場にやってきた藤本は内山の姿を見つけて「なんで先にいるのよ!?」と目を丸くした。
「記者としては、偶然とはいえ現場に居合わせ幸運はやはり感じました。ただ、その2日前に僕が1人でウロウロしていた辺りにOSOが現れたわけですから、一歩間違えれば、自分が襲われていたかもしれない、と背筋が寒くなったのも事実です」
OSO18の肉はきれいだった
冒頭で触れた通り、その後、OSO18は誰も想像しなかった最期――それまで被害のなかった場所でOSO18と知られぬまま呆気なく駆除され、そのまま食肉として流通していた――を迎える。
内山は東京のレストランで「ジビエ」となったOSO18と対面している。
「ずっと追いかけていたOSOが捕まる前に東京に転勤になってしまったのが心残りだったのですが、まさか最後にこういう風に対面するとは思っていなかったので。『これがOSOか』と……きれいな肉でしたね」