陸上部に入部後、いきなり大会で1位に
ーー読者モデルから先に進めなかったことで「このままじゃ終われないな」と奮起したと。
宮原 「二コ☆プチ」の読者モデルができるのは小学生までで、その間に読者モデルから専属モデルに上がれなかったんですよ。それが悔しくて、中学生になってからはオーディション雑誌で応募できるオーディションを探しまくっていましたね。
ーーモデルとしてオーデションを受ける傍ら、中学3年生の時に、第25回東京都中学生空手道選手権大会で準優勝していますよね。中学に進んでも空手は続けようと思っていた?
宮原 そうですね。ただ私の学校に空手部はなかったので、習い事として続けていました。
担任がバレー部の顧問をやっていて、「入ったら?」とずっと言われてましたけど、バレー部は練習も多かったりで、空手を習う時間を取られるから入りたくなくて。
なにかしら部活をやらないといけない空気もあったし、自分としても少しでも体力を付けられたらいいなと思っていたので、部活には入っておきたくて。空手と両立できる部活はないかなと考えて入ったのが、陸上部でした。個人競技だし、いいかなって。
ーー陸上の個人競技といっても、いろいろありますが。
宮原 最初は100メートルの短距離をやっていて、いきなり出た大会で1位になって。だけど、腰を疲労骨折しちゃって走れなくなっちゃったので、砲丸をやることにして。砲丸では、都大会で8位まで行きました。
砲丸投げで自分なりの投げ方を貫く
ーー腰の疲労骨折は、空手が原因ですか?
宮原 空手です。練習のしすぎが原因の疲労骨折で。小学生で両膝の半月板もやってますし。
ーー腰を折った後に砲丸投げって、大丈夫でしたか。
宮原 ピッて投げてただけなので。だから、あんまり考えずにやっちゃってましたね。小学生のときは、膝にサポーターして運動会に出てましたし。
陸上部って、活動自体がほんとに緩かったんです。練習もあまりなかったし、「空手の大会前なので、今日は休みます」と言ってもOKしてくれました。そんな雰囲気の陸上部だったから、入ったので。
たしか、砲丸投げって、ちょっと成績が伸びてきたら投げ方を変えるんですよね。でも私は自分なりの投げ方を貫いていたので、地区大会の決勝で、何も助走を付けずに投げていて。
みんな「そこでもう投げちゃうの?」みたいな(笑)。強豪校だと、「行きまーす」って感じで、周りが盛り上げて、声を出して投げたりしてるんですけど、私はそんなノリじゃなくて。いきなりピッて投げて、ドーンっていう。