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三愛水着イメージガールに合格

ーー空手も陸上も順調だった中学時代でしたが、オーディションだけは苦節の3年間でもあったと。

宮原 「ニコラ」「Hana*chu→」「ピチレモン」とかも受けましたけど、全部落ちてしまって。書類すら通らなかったです。モデルの仕事は、ほぼやってないですね。

 事務所にも入ってなかったんですよね。スカウトはされましたけど、調べてみたら怪しい感じの事務所だったりすることが多くて。もう、事務所に入らないでいいかって。

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ーーオーディションでは、空手を売りに。

宮原 みんなはダンスや歌を特技として披露するんですけど、私は空手の型を見せたりして(笑)。審査員の方々は「おお~」なんて盛り上がりますけど、そのあとは「で?」って感じでした。やっぱり、空手がモデルにつながるイメージがないんでしょうね。

 通学で履くローファーのメーカーで、ハルタさんってあるじゃないですか。そこのカタログのオーディションで最終まで残って、「まだ、ちょっと希望があるのかも……」と思い始めて。それで三愛の水着イメージガールに応募したら、受かったんです。受かったときは信じられなかったですね。4次審査くらいまであったので。

ネットでは心ない誹謗中傷を書かれ…

ーー史上最年少の三愛水着イメージガールですよね。

宮原 15歳でイメージガールに選ばれたのは、初めてだったそうです。あと、事務所に入っていなかったので、一般応募で選ばれたんですけど、それも初めてで。

 そういうこともあって「15歳だと、まだ早いかもしれない」と、三愛さんが時間をかけて両親にいろいろお話をしてくれて。

 やっぱり、水着になる仕事だし、「いままで掛けられたことのないような言葉をかけられることもあります」ってことで、もし不安だったら断ってもいいとも言ってくれました。

 

ーー「いままで掛けられたことのないような言葉」というのは、誹謗中傷のことですか。

宮原 そうですね。三愛さんは、それをものすごく心配してくれていたんです。実際、イメージガールに就任してから「ヘソの形が汚いのに、水着のモデルをやるな」とかネットで書かれましたから(笑)。私のヘソ、風船の口みたいに見えるんですよ。いろいろ書かれたけど、「こんなの選んで、三愛は金なくなったんか?」って言われたのが一番悲しかったです。

 三愛のみなさん、すごい優しいんですよ。ほんと、自分の家族のようにずっと付いてくれて、ものすごく私のことを気にかけてくれたんです。だから、三愛さんのことを悪く言われるのが、自分のことを言われるよりも辛くて。