プロ格闘家としても活躍する女優の宮原華音(27)。

 昨年4月の立ち技格闘技「RISE」でのプロデビュー戦にて1RKO勝利を果たした彼女に、黒帯を取得している空手との出会い、170センチの高身長ゆえに「でかのん」と呼ばれていた小学校時代、小学生向けファッション誌「ニコ☆プチ」の読者モデルを務めた日々などについて、話を聞いた。(全3回の1回目/続きを読む)

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家の柱にしがみついて泣くくらい水泳が嫌いだった

ーー生まれは秋田県の湯沢なんですね。

宮原華音(以下、宮原) 湯沢は、生まれただけなんですよ。母の生まれが秋田の湯沢で、里帰り出産で私を産んだんです。なので、生まれてすぐに東京の瑞穂町に戻ってます。

宮原華音さん

ーー3歳から水泳をやっていたそうですが、きっかけは?

宮原 私の両親は、自分たちができないことを娘にやらせてあげたいという思いがあって。「私たちが泳げないから、子供が溺れた時に助けられないよね。だから、子供には自力で泳げるようになってもらおう」みたいな考えなんですよ。それで、近所にあるスイミングスクールに通わされました。

 でも、水泳が大嫌いで(笑)。「行きたくない」って、家の柱にしがみついて泣いていたぐらい苦手でした。

ーー水泳は、長く続けていたのですか。

宮原 子供になにかやらせるとき、両親には「やりきる」という決まり事があったんです。スイミングスクールって、「バタ足ができたら、次はクロールができるように頑張りましょう」みたいな検定っぽいのがあるじゃないですか。

 通っていたスクールは、バタフライまで受かったら、そこからは大会に出る人のためのコースになるんです。小学校2年で、ようやくバタフライに受かったので、そこで水泳はやめました。

宮原華音さん

空手を始めたきっかけ

ーー水泳をやめてから空手を?

宮原 水泳をやめた時期と空手を始めた時期は、ちょっと被ってるんですよ。私、ピアノも習っていたんですけど、駐車場からピアノ教室に行く間の道路に極真空手の道場があって。通りがけに道場の中を覗くと、小学校の友達が空手を習っていたんです。それでピアノ教室に行くたびに、極真の教室を外から覗いては「あ、今日は友達いるな」って確認するようになって。

 そうしたら、お母さんから「空手、やってみる?」って言われて。お母さんは一人っ子できょうだいゲンカとかしたことなかったから、嫌なことを「嫌だ」って言えないところがあったらしく、メンタル強化のためにも空手を習わせたかったみたいです。あと、礼儀もしっかり学んでほしいという狙いもあって。