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 小2の大会で勝てたのは、身長の高さが有利に働いてたところもあったんです。小2で140センチあったので、同年代の子と腕の長さが10センチぐらい違ってましたから。

ーー小2で140センチは、なかなかですよね。

宮原 だから、地区大会で「あの子と当たるのは、ちょっと……」って試合前に棄権されたり。2回戦あたりまで対戦者がいない時とかありましたね。

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 大会に出ると、私の身長でザワつくんですよ(笑)。会場で、小1、小2、小3って分かれるんですけど、小2のところにいる私を見て「あの子、ここじゃないんじゃない?」みたいな。それを「私、強い!」と、変にいいように解釈してましたね。

 

中学校ぐらいで170センチに成長

ーー幼い頃から身長は高かったのですか。

宮原 生まれた時から大きかったみたいですね。お母さんの話だと、生まれて保育器に入れられるじゃないですか。その保育器に、普通の赤ちゃんならかかとに当たるあたりに段差があったらしいんですけど、私はそこにひざ裏が乗っかっていたって。看護師さんたちも「この子、これに入る必要ないよね」みたいな。背が高いというか、体が長かったらしいです(笑)。

 母も160センチぐらいですけど、父が183センチで。家系的に大きくて、親戚の同い年の女の子は178センチあるんですよ。だから、親戚で集まると、私はわりとちっちゃいほうというか。

ーーいくつぐらいで、現在の170センチに。

宮原 中学校ぐらいですかね。小学校卒業で、167センチあったので。それでランドセル背負ってましたね。

 

運動でできないものはないと思い込んでいた

ーー高身長であることにコンプレックスなどは。

宮原 全然なかったです。ただ、男の子たちからずっと“でかのん”って呼ばれていたんですよ。でかい華音で、でかのん。それに対してムカついてたのはありました。いろいろと、おちょくられたし。あと、運動で男の子と比べられることが多かったのも嫌でしたね。

ーーやっぱり、運動は全般的に得意だったのですか。

宮原 水泳こそ嫌々やってましたけど、運動だけは学年トップクラスでよかったです。背が高かったので、小学校だとなにをやっても有利で。運動に関しては、できないものはなにもないと思い込んでましたし。

 あと、変な負けず嫌いも発揮していて。放課後にずっと、逆上がりとか鉄棒の練習をしてました。というのも、小学校で鉄棒の検定があったんですよ。「これができたら、このシール」みたいな。そのシールが誰よりも欲しくて、空中逆上がりとかの練習をしまくって。Tシャツがめくれて、お腹が鉄棒にこすれて、皮がベロベロに剥けちゃって、「痛い~」って泣きながらも、できるまでやるっていう。さすがにお母さんも「そこまでする必要ある?」って呆れてましたね。