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水着になることに抵抗はなかった

ーー選出されたのは、2011年ですよね。

宮原 そうです。中3だった2011年に、2012年度のイメージガールに選ばれました。で、高1になってイメージガールとしての活動を1年間していましたね。ショーに出たり、カタログの撮影をしたり。

ーー水着になることに抵抗はなかったのでしょうか。

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宮原 なんの抵抗もなかったです。恥ずかしいって気持ちはまったくなくて、なんなら撮影で一緒になったモデルさんたちがキレイすぎて、いろいろ話しかけちゃったりして。「脚の長さ、どうなっているんですか!」とか。その方をふくめ、みんな優しくて、ショーの前にウォーキングのレッスンをしてくれたり。

 両親もなにも言わなかったですね。ただ、歴代の三愛水着イメージガールって、杉本有美さん、木下優樹菜さん、菜々緒さんと、すごい方々ばかりじゃないですか。それで「大丈夫? やっていける?」とは、言われました。

 

自分がなりたかったのは“中高生”のモデル

ーーイメージガールに選出された際、中学では「ニコ☆プチ」掲載を上回る反響だったのでは。

宮原 「就任しました」っていうのがニュースかなんかに出たみたいで、男の子たちから「おまえ、テレビ出てたじゃん」とか「すげえじゃん」って騒がれましたね。「ニコ☆プチ」のときは「なんで、お前なんかが載れてんだよ」なんて言ってたから、「こいつら~」と思いましたけど(笑)。

 逆に今度は、仲の良かった女の子たちのほうが引いた感じになっちゃって。「え、聞いてないんだけど……」「なんで、言ってくれなかったの?」って反応で。女の子たちが引いちゃったぶん、男の子たちがそう言ってくれてありがたかったですね。

 

 ただ、時期的なこともあったんだと思うんです。中3の11月っていう、みんなが受験勉強を頑張ってるなかで「イメージガールに就任しました」っていうのを知ったり、聞いたりしたら、「なにしてんの?」とは思っちゃうだろうし。「一緒の高校行こうって言ったじゃん」みたいな。

ーー三愛水着イメージガールを機に、高校から本格的に芸能活動を始めようと。

宮原 「モデルになりたい」といっても、自分がなりたかったのは中高生のモデルなんですよ。「なんか雑誌に出れたらいいな」ってノリで。あくまで高身長を活かしてできることと捉えていて、モデルを将来の職業としては考えてなかったです。

 高校は私立の空手強豪校に入ってますし。なんだかんだで、結局は空手になってました。といっても、その高校はいろいろあって1年でやめちゃうんです。

撮影=三宅史郎/文藝春秋