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「欲しいのは“いいね”だけ」新作スニーカーを履かずに返品する「若者たち」の特殊事情

『スニーカー学』より #2

2024/02/01

genre : ライフ, 社会

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 そのうえ彼らは1足のスニーカーを仲間内で共有して回し合うことで大量のスニーカーを持っているように見せかけてさらに“いいね”を稼ぎ、ひとしきり楽しんだ後はリセール市場に売ることで次のスニーカーを手に入れる購入資金にするというサイクルで、効率的に“いいね”とお小遣い稼ぎを同時にやっていました。さらにひどいケースでは手に入れたスニーカーにプレ値が付いていないことがわかると、SNSアップ用に写真だけ撮影して返品することすらあります。

 スニーカー系のYouTuberも同様です。彼らにとって最も再生回数を稼ぎやすい美味しいコンテンツは、人気モデルの発売日に抽選の行列に並ぶ回です。彼らにとってはお目当てのスニーカーが買えなくても「今回も買えませんでした! 残念!!」というオチでコンテンツになるので、費用対効果を考えれば、むしろ買えないほうがありがたいとすら言える。

「他人から羨ましがられるからスニーカーが好き」

 しかし、2022年の半ば頃から人気モデルの生産量が増えたこともあってスニーカー系のYouTuberがどんどんと抽選に当たるケースが増えてきた。そうなると逆に企画のためにスニーカーを買い続けねばならず、彼らにとっては死活問題ですし、「今回も前回も前々回も買えました」となると、実はレアではなく誰でも手に入れることができるんじゃないか、という疑念まで持たれるようになり、スニーカーというコンテンツ自体の求心力が低下することにも繋がっていきました。

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 そもそもコレクターがモノを集める動機はアイテムに対する愛があるからこそ、他人からどう思われようと関係なくお金を使うものでした。しかし、ハイプスニーカーブームのメイン層である若者たちの多くは、スニーカーが好きでたまらないのではなく、他人から羨ましがられるからスニーカーが好き、というのが購買の動機です。

著者の本明秀文氏 ©KADOKAWA

「手に入らないからこそ、消費者が欲しがっている」と確信していた僕は、折に触れてメーカーに対して「さすがに作りすぎじゃないか」と言ってきました。しかし、メーカーは資本主義社会でビジネスをおこなっている企業のため、売れるならばたくさん作ることが宿命づけられています。そのため生産量は増え続け、やがてレアという価値観は崩壊していきました。

 モノとしてスニーカーを偏愛しているコレクター層はスニーカーブームが去ってからも健在ですが、ハイプスニーカーが流行っているからという理由で購入していた層は「もうスニーカーってトレンドじゃないよね」という雰囲気が漂った瞬間に一斉に興味を失い去っていったのです。

「欲しいのは“いいね”だけ」新作スニーカーを履かずに返品する「若者たち」の特殊事情

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