A 支えてくれる人の言葉が眩し過ぎる時はありませんか?
すごい道徳的な事を吐きそうになる自分を抑えていうと、自分なら思いきって環境を変えると思います。一度すべてを捨てて、自分の中で区切りをつけると思います。すごい道徳的な事というのは、「自業自得です。その苦しみを糧に罪を背負って生きていくしかない」です。ちゃんとした大人、仲間、支えてくれる人の言葉が眩し過ぎる時はありませんか? 分かるけどツラい時はありませんか? 「俺には何でも言ってくれ」「これから一緒に解決していこう」「わかるよ。わかる」とか。あぁ、これは僕が言われたことのある一例です。そして、有り難いのですが、なんとなく微かに気持ち的に追い込まれる感情がどうしても湧き出てしまう言葉でした。
「人生は何度でもやり直せる」は嘘
あなたは自分の人生に今、相応の荷物の他に社会的制裁という荷物も背負い、生きているんだと思います。その荷物は日に日に重くなってきているんだと思います。次の一歩が出ないぐらいの重さに参ってしまっているんだと思います。それが罪なんだ! 当たり前だ! 一生背負ってろ! と思ったり、周りから思われたりしてるかと思います。僕は幸いパクられるようなことはなかったはずですが、当人に会ったらぶっ飛ばされるじゃ済まないぐらいの事は過去に何度かありました。今も時々、その出来事を思い出し、相手が自分を今どう思ってるかを考えるとノイローゼになりそうになることがあります。逃げるように離れた人間関係もあります。罵倒されるような過去を持ちつつ、ごまかしながら、なんとかかんとか生きています。立派じゃない人間なんだから、せめて人に寄り添おうと心掛けています。それでも人を傷つける事も多々です。嘘もつきます。自暴自棄にもなります。性欲に負ける瞬間もあります。後悔は尽きません。でも今日は生きています。明日もどうにか頑張ろうとシャワーを浴びながら小さく誓ったりしています。人はすぐに言いがちな「人生は何度でもやり直せる」は嘘だと思っています。でも「人生は何度かやり直せる」とは心から信じています。
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