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2018/04/30

ツブシがきかないと言われてきた美大

――かつて芸術大学には、ツブシがきかないとか、食えないというイメージがありましたが。

 デザインやアートを学んだことは、あらゆる方面に活用できます。モノやサービスをより売れるものにできるかもしれない。収入に頼らずとも、アイディアひとつで本質的な豊かさを得られることもあるでしょう。経済活動のひとつの技、日常の工夫として、デザインやアートを学ぶことの意義はあるんです。

 スタンフォード大学には、Dスクール(Hasso Plattner Institute of Design)というのがあって、政治や経済、医学などを学んでいる人が同時にデザインを考える場がある。たとえば、「お財布のない店をどうつくるか」といったような課題が与えられれば、それをデザイン的に思考してみるのです。そして、それが新しい製品やサービスになったりする。

 普通に勉強していた人たちが、デザインやアートを思考法や哲学の一科目として認識してくれるようになったんです。あらゆる学問にデザインマインド、デザイン思考が入りつつあって、芸大での教育が決して特殊ではなくなってきている。このままいけば、芸大が芸大でなくなる時代がくるんじゃないかと僕は思っています。もしかすると、将来的には、東北芸工大が山形大学や東北大学などと一緒になって機能する可能性もあるわけです。

©杉山拓也/文藝春秋

 いまの時代、どれだけ柔らかい頭を持っているかが勝負だと思います。牛丼屋がメインメニューから牛丼を外して衣料をやったり、ホテルをつくったり。クルマをつくっているところがロボットをつくったり、掃除機をつくっていたところがクルマをつくったり、もうぐちゃぐちゃじゃないですか。これはこうだ、当たり前だ、と思っていると、必ず梯子ははずされる。

 衣料をやりながら遊園地を見てなきゃダメだし、本をつくりながらもしかしたらオモチャのことを考えなきゃいけないという時代なので、どれだけ柔らかい人をつくるかってなったら、もう、美大の出番だと思うんです。本当に社会のニーズは、デザインとアートにあるんです。

東日本大震災は大きな転機でした

――学長に就任したらまず何から始めますか。

 まずは覚悟です。クリエイティブ教育が、社会にとって重要であるという気概とプライド。

 そしてやはり、山形という地方都市に大学があるということを有利に使っていきたい。実際、教育上とても恵まれた環境です。都会の大学のほうが、どうやって芸術教育をリアルなところに着地させるかということでは迷っていると思う。

 これまでも、芸大として、地域とのクリエイティブワークは存分にやれてきたと思いますが、特に東日本大震災は大きな転機でした。あの震災のあと、学生たちはそれぞれ被災地に向かい、プロダクトや建築の学生は建築家の坂茂さんと仮設住宅の建築に関わったり、体育館の避難所の間仕切りを作ったり、表札をつくったりしました。大学としても、学生と被災地支援を繋げるプロジェクトを熱心にサポートしてきました。

 それがきっかけで、平時でもこの地域と何ができるかということを常に考える大学になれたような気がします。大学の在するこの場所の特性について、きちんと考えることから始めようという姿勢も生まれました。

中山氏がデザインした山形県山辺町「大蕨棚田米」の米袋 ©杉山拓也/文藝春秋

 そうやって、大学のフィールドがこの山形であることを考えると、やはり、農と食は避けて通れませんね。この地に昔から栄える農と食にデザインとアートをうまく結びつけられれば、もしかしたら、日本で初めて芸術大学の中に「食」や「健康」をクリエイトできる学問の場ができるかもしれない。これまでは、芸術大学が目を向ける世界を、自分たちで勝手に狭めていたのではないか? 日本の一般的な地域、あらゆる分野・業界に、クリエイティブの力を注げる卒業生を増やしていきたい。そんな彼らが創造するのは、上質な社会とそのシステム、工夫にあふれた私たちの大切な暮らし。美味しい毎日のごはん、それが目標です。

 デザインとアートの力は、これからの時代のキーワードです。大学でもいろいろな仕掛けを用意して、新しい芸術大学の姿を打ち出していければと思っています。

* 〈山形の地方大学が生き残るための方法――東北芸工大学長・中山ダイスケの挑戦〉に続く

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