『その世とこの世』(谷川俊太郎・ブレイディみかこ 著/奥村門土 絵)岩波書店

 これは、この国を代表するふたりの「ことばの表現者」の間で交わされた対話篇ともいえる本だが、その始まりのときに、不思議な縁で関わることになった。数年前のこと。わたしがパーソナリティーを務めるラジオ番組の新年特別プログラムで、時間差での“共演”を果たしたお二人に、まさに始まろうとしていた対話についてお話ししてもらった。それは、まるで受胎の瞬間をかいま見るようだった。そして、時満ちて、いま1冊の本となったのだ。

 この対話の最大の特徴は、徹底して「散文の人」であるブレイディさんの問いに対し、これまた徹底して「詩の人」である谷川さんが、「詩のことば」ではなく「詩」そのもので応答していることだろう(もちろん、谷川さんの応答の中には散文の箇所もあるが、本質的なところは必ず「詩」が選ばれている)。その間には超えられない深淵があるはずの、「散文」と「詩」。けれども、その距離を軽々と乗り越えて「対話」が可能となった。同じように、ことばでなにかを創り出す者のひとりとして、その風景に撃たれるのである。

「対話」だから、テーマは次々に即興のように移り変わってゆく。中でも、圧巻の第一は、「その世」を巡る部分だろう。

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 谷川さんは「その世」という詩の中で、こう書く。

「この世とあの世のあわいに/その世はある/騒々しいこの世と違って/その世は静かだが/あの世の沈黙に/与していない」

 それに対して、ブレイディさんは「『あの』は『that』、『この』は『this』。では、『その』は?」と問い返し、「英語では『その』も『that』なんですよね。つまり、2つしかない」と言う。そして、「この世」と「あの世」のあわいにある場所をあえて英語にするなら「somewhere in between」ではないかとするのである。

「この世」は現世。「あの世」は死んでから行くところ。あるいはすっかり終わってしまった過去の世界もそうなのかも。しかし、もっとも大切な場所は、その中間に、そもそもいろいろなものの「間」にあって、そこでこそ生まれるのではないか。それを「その世」とふたりは言う。難しいことではない。読者の目の前で自由に展開してゆくふたりの「対話」こそ、「詩」と「散文」の「間」に生まれた奇跡の空間、「その世」の1つの例なのだ。

 そして、この「対話」のもう1つのクライマックスは、ふたりがそれぞれの親の「遺品整理」に取り組む顛末だ。しかし、「遺品」とは親と子の「間」そのものではありませんか。

 大団円は谷川さんの「自分だけ」という詩。ことばを失うほどの傑作である。

「この世は他人だらけである/他人でないのは自分だけだと思うと/寂しい」

たにかわしゅんたろう/1931年生まれ。詩人。詩作のほかに絵本、エッセイ、翻訳、作詞、脚本など幅広く作品を発表している。
 

ブレイディミカコ/1965年生まれ。ライター、コラムニスト、小説家、保育士。96年から英国ブライトン在住。著書多数。

たかはしげんいちろう/1951年広島県生まれ。小説家、文芸評論家。著書多数。近著に『一億三千万人のための「歎異抄」』。