つまり、当たり前のことだが、勝てば勝つほど相手が強くなっていく中、9ヶ月で最低3回は勝ち抜かねばならない。3ヶ月に1度試合するというのは、若いボクサーでもギリギリの過密スケジュールであり、ましてや、米澤は36歳というボクサーとしては下り坂の年齢である。考えれば考えるほど、無謀過ぎる戦いに思えた。せめて気持ちだけは誰にも負けない、そんなボクサーなのかと思いきや、実は殴るのが嫌いだという。
なぜ36歳でチャンピオンを目指そうと思ったのか?
米澤の本心がまったく見えない。挑戦はただのビッグマウスなのではないか。僕は思わず少し嫌な質問を投げる。
「殴るのが嫌で、チャンピオンになれるんですか?」
直球過ぎる言葉だったのかもしれない。米澤は少しむっとした口調で答える。
「僕がボクシングに向いているかどうか、それは何とも言いようがないですよ。でも、他人は何て言うかわかりませんが、誰の人生でもない、自分の人生なんで、後悔しないようにっていうか、それが重要、いや大事なんじゃないかなと思ってます。年齢のこと言われたら、はい、そうですね、としか言いようがないし……」
それまでの饒舌が止み、黙りこくった。表情に苛立ちが漂う。こちらも継ぐ言葉が見つからない。2人の間に不穏な空気が漂い始めた。とりあえずカメラを止めた。今日は撮影初日だ。こちらが米澤のことを知らない以上に、米澤は僕のことを知らない。僕は、米澤と同じ36歳だということ。僕自身、身体の衰えや自分の実力がどこまでなのか、何となく見えてしまう年齢に差し掛かっていること。
だからこそ、今からチャンピオンを目指すという厳し過ぎる挑戦をどうしてしようと思ったのか、米澤の気持ちが知りたかったのだと喋り続けた。ここで関係がこじれては、撮影が頓挫する。フリーのディレクターとしてこの仕事を任された以上、失敗は許されない。僕も思いのほか、力が入っていたのかもしれない。
じっと黙って聞いていた米澤が、ぽつりと口を開いた。
「いつ死ぬかわからないですから。やりたいことをやらないといけないんじゃないですか……。こんなことははじめて会う人に話すことじゃないかもしれないですけど……」
何かを絞り出すように語り始めた米澤の話には、奇妙な運命と過剰な思い込みが擦り合わされていた。
高校1年生の時、レスリングのインターハイに出場
事件の発端は高校時代に遡る。千葉県八千代市にある八千代松陰高校のレスリング部に所属していた米澤は、高校1年の時に団体戦の千葉県代表として宮崎で開かれたインターハイに出場した。115キロの階級(当時)に出られるのは、74キロあった米澤しかいなかったので、1年生なのにもかかわらず、試合に出ることになったのだ。そしてベストエイトがかかった試合がとても重要だった。なぜなら、大学を推薦で狙っていた3年の先輩たちにとって、全国8位以上になれば、成績に加味されるからだ。