2013年1月、無名のB級ボクサー・米澤重隆(当時36歳)が、日本チャンピオンを目指すという無謀な挑戦を始めた。当時、日本ボクシングコミッションの規定に「37歳でチャンピオン以外はライセンスを失う」という項目があり、米澤は9か月以内にチャンピオンにならないと、強制的に引退となってしまうのだ。
米澤の挑戦はNHKのドキュメント番組『関ジャニ∞応援ドキュメント 明日はどっちだ』にも取り上げられて、反響を呼んだ。果たして彼は、日本チャンピオンになれるのか――。
ここでは、米澤に密着したテレビディレクター・山本草介氏の著書『一八〇秒の熱量』(双葉社)より一部を抜粋してお届けする。(全2回の2回目/1回目から続く)
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タイで試合を終えたあと、千葉の実家に帰省
深夜まで続いた祝勝会の後、米澤は短時間ベッドに体を横たえただけで、午前2時にホテルを発ち、4時前にはスワンナプーム空港に駆け込んだ。試合などしない同行者も疲れ切る強行軍だが、これも遠征予算の都合だ。9時間も狭いエコノミー席にいては試合後の180センチの体にはこたえたろうが、成田空港に着いた米澤は、板橋区の自宅には戻らず、その足で生まれ故郷である千葉の柏へ向かった。久しぶりの実家で思う存分、母の手料理を食べたい。飛行機の中で思いついたのだという。
駅には母・折江の運転する車が待っていた。
「試合どうだった?」
「勝った。2ラウンドKO勝ち」
「あっそう……よかったねえ」
車中の2人は仲のよい母と息子そのものだった。
「すごかったよ。控え室なんてないんだもん。その辺でみんな準備してさあ。めちゃくちゃいい経験だよ。普通あんな所で試合できないよ。俺みたいなボクサーがさ……」
米澤は小さな子どものように、見たものを母に報告していた。聞いている母は、「すごいね。そうなんだ」と素直に喜んでいる。
父親の話題になると車内は静かに
米澤は長男。父と母と妹の4人家族だ。妹は4つ年下のため、幼い頃、母を独り占めして甘えることができた。米澤の朗らかさは、このように何を話しても、ちゃんと聞いてくれる母がそばにいたからなのかと2人のたわいない会話を聞きながら思う。無理をして相槌を打つのではなく、母は心から息子の土産話を楽しんでいる。
しかし、そんな母親がいながら、米澤は正月くらいしか帰らない。千葉と東京の距離であるが、ボクシングと仕事が生活のほとんどの時間を占めていて、帰省する余裕などないのだろう。母にとっては息子が珍しく家に寄ったこと自体がうれしいようだった。