親が“大物”“スター”と呼ばれる、芸能人やアスリート、アーティストの子供たち。いわゆる“二世”である彼らは、どのような環境に身を置き、どのような思いを抱いて親を見つめ、どのようにして自身の進むべき道を見出したのか?
祖父が大鵬、父が貴闘力であるプロレスラーの納谷幸男(26)は、名力士の血筋を受け継ぎながらも相撲がどうしても好きになれなかったという。息子に強い期待を寄せる父親から与えられたのは、“力士になれ”という選択肢のみ。
「親父と同じことはしたくない」という想いを抱いて2017年にリング・デビューを果たし、現在はDDTプロレスリングの若きエースとして活躍する彼に話を聞いた。
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幼い頃から、朝の稽古に引きずられて行かれ……
ーーいくつくらいで、自分の家庭が他とは違うなと感じましたか。
納谷幸男(以下、納谷)小学校の1年か2年ですね。授業参観や運動会におじいちゃんとか親父が来ると、ザワつくんですよね。親父は髷(まげ)を結ってたので、お相撲さんなのは一目瞭然でしたから。
ーーおじいさまとお父様が親方を務めていた大嶽部屋(旧・大鵬部屋)の存在を、地元で知らない人なんていないでしょうしね。地元の名士が学校にやってくるわけですから。
納谷 おじいちゃんはそんな感じでしたけど、親父はそうでもなかった(笑)。ただ、ザワつくのは大鵬を知っている、同級生のお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん。そういうのがあっても、漠然と「おじいちゃんって、なんだか凄いんだなぁ」と思う程度で。
ーー生まれた時の体重が4400グラムで、小学6年生で身長が180センチあったとお聞きしていますが、子どもの頃はどういうタイプでしたか。
納谷 昔から身長は高かったですね。幼稚園でも小学校でもクラスで整列する時は、常に一番後ろって感じで。“デカくて面白い奴”みたいな扱いで人気はあったのかな。一方で、親父からの「デカいから相撲やらせたら凄いぞ」という期待とプレッシャーは感じてました。
ーー幼稚園に入った頃には、お父様に土俵へ引っ張り上げられていたそうですね。
納谷 相撲は取らなかったけど、無理矢理まわしも着けられて、お弟子さんと一緒に四股を踏まされたり、ぶつかり稽古をさせられたり。 嫌でしかたがなかったです。元々、相撲自体が好きじゃなくて、根底に「なんで相撲をやらなきゃいけないの?」ってのがあったんですよ。
小学生になったくらいから、他の子はサッカーやったりとか、野球やったりとかって選択肢があるけど、うちには相撲しかない。選択肢を与えてもらえなかった。朝起こされて「四股を踏め」というのが相撲の原体験というかスタートになってますから、好きになれっこないです。
ーーサッカーやってみたいとか、お父様に言ってみたことは?
納谷 言わなかったです。というより、言えなかったです(笑)。小学校の作文で将来の夢とか書かされるじゃないですか。毎年「力士になりたい」って書いてました。そう書けば親父は喜ぶし、怒られないし、波風立たないと思って。
ーー朝の強制稽古では、お父様に「頭からゴミ箱に突っ込まれた」ことがあったと仰っていますよね。
納谷 稽古場に連れて行かれるから、必死で逃げるんですよね。それを親父に捕まえられて、引きずられて連れて行かれる。「行きたくない」と暴れまくったら、ゴミ箱に放り込まれたことも。さすがにあんまりな場合は、隣に住んでるおじいちゃんのところへ逃げてました。