ーー2ヶ月で鳥取市立西中学校をやめて、地元の中学校に通うわけですが、お父様に直談判されたのですか?
納谷 ゴールデンウィークに一瞬だけ実家に帰れたので、そこがチャンスだと考えて、おじいちゃんに「無理」と訴えたらわかってくれて。おじいちゃんと親父が激しく言い合いした末に、東京に戻って地元の中学に通うことになりました。おじいちゃんは、どこかで僕に相撲をやってほしかったとは思うんですけど、「相撲をやれ」とは言わなかったですね。
東京に戻ってからは、ちょっとグレました。不良になって悪さをしたとかじゃなくて、鳥取の件も含めて、いままでの反動で親父の言うことを聞かないとか無視するとか。相撲も一切やらないし、帰宅部で、友だちと遊びまくってたし。
「あ、俺このままじゃいけない」と
ーーでも、高校はやはり相撲強豪校である埼玉栄高校に通うわけですが……。
納谷 親父から「行け」と言われたんじゃないんです。栄高校相撲部の山田(道紀)監督が、毎月のように家にいらして「うちに来てほしい」と頭を下げられるんですよ。相撲はやりたくなかったけど、監督の熱意にほだされたというか。
ーー自分の進むべき道が定まっていないから、そちらに流されてしまうみたいな面も。
納谷 ありましたね。だけど、相撲部ではほんとに最初だけ練習に出て、あとは籍を入れているだけ。そのあたりから、「あ、俺このままじゃいけない」と思って。
それまで自分で「これやりたい」というものがなかったから、自分の意思で何かしようと、高2でキックボクシングを始めたんです。親父がキックボクサーの藤原(敏男)先生と仲が良かったので、その繋がりで先生のジムに通うようになりました。
家の周りを記者が取り囲んでいて、ピンときた
ーーこの少し前ですよね。お父様の野球賭博が発覚するのは。
納谷 中3から高1にかけてですね。報道が出る前に、家の周りに記者の人たちがズラーッといるので、「あ、悪いことが起きたな」って、ピンときました。前にも、部屋に関連する不祥事があると記者が来ていたので「ああ、またか」という感じ。
ーーお父様に対しての失望や怒りは?
納谷 いや、正直、そういう感情すら残ってなかったです。当時は野球賭博の存在は知らなかったけど、競馬にめちゃくちゃハマっていたことも、親父が家の金を使い込んで母親が苦労していることも知っていたので。