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ーー朝の稽古は毎日ですか? 

納谷 主に休みの日です。ただ、それも親父の気分次第なんですよ。やらされるのは、大体が機嫌の悪い時(笑)。でも、地方場所と巡業で半年は家にいないんですよ。親父がいない時は、相撲の“す”の字もないので楽しかったですね。 

お年玉はすべて父のギャンブルに使われた

ーー周囲から裕福そうに見られていたけど、そんなことはなかったと仰っていましたが。 

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納谷 まぁ、周りと比べたら若干は余裕があったほうかもしれないですけど、他の相撲部屋の同年代の子たちと比べたら全然だったと思います。お小遣いの額も同級生と同じくらいだったし、お年玉はいっぱいもらうんですけど、親に預けていましたから。まぁ、それも結局はすべて親父のギャンブルに使われていたらしいですけど(笑)。 

 

ーー納谷さんがもらったお年玉をギャンブルに使ってしまうのは、なかなかの状況ですよね。 

納谷 思い返すと、親父は四六時中ギャンブルやってました。ボートレースやオートレースも全部やっていたと思います。パチンコとスロットは「機械を信用してない」とか言って、やってませんでしたけど(笑)。 

 少学生の頃、親父と僕は同じ寝室で寝ていたんですよ。そこで競馬と野球の中継をずーっと見て、新聞に○×を付けていて。子供の頃はなんとも思わなかったですけど、だんだんと「あっ、そういうこと」かって。 

苦手だった相撲の上下関係

ーーお父様の強い希望で、12歳で相撲強豪校である鳥取市立西中学校に“相撲留学”することになります。まだ12歳、しかもひとりで鳥取というのは心が折れますよね。 

納谷 無理矢理でしたからね。小学4年生の夏休みにも“相撲合宿”みたいので鳥取市立西中学校には行ってはいるんです。同年代や少し上のやる気満々の子が集まって、みっちり相撲をやるんですけど、その時も「無理だな」と。僕、相撲独特の上下関係がダメで。  

 さすがにいまはやってないでしょうけど、当時はいろいろ目にしました。こんなのが当たり前の世界はおかしいと思って、絶対にいたくないと思うようになったんです。上下関係は大事ですけど、それとこれとは違うなって。小4の相撲合宿でも、それまで僕自身は先輩や後輩なんて経験したことがないのに、いきなりそういうのに直面しちゃって。 

 

ーーその苦さを覚えているゆえに、12歳で鳥取に行かされるのはヘビーですね。 

納谷 めちゃくちゃ反抗しました。泣いて「やめて」と親父に頼みましたけど、問答無用で鳥取に飛ばされましたね。寮に入ったんですが、寮には20歳くらいのモンゴル人の先輩が住んでるほかは、1年、2年、3年と中学生だけ。僕を入れて、6人とか7人くらいでした。

 寮自体の規則はゆるかったんですけど、そこでは中3が「頂点」なので、掃除のやり方がなってないとか、けっこう怒られましたね。はなから相撲は嫌いで、寮もそんな感じで「ほんと、無理」って。