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正月でもないのに実家に寄った米澤は何を期待したのか?

 良雅は船乗りを諦め、高校卒業後、東京都水道局に就職。以来四十数年、定年まで公務員一筋で生きた。それでも好きな船を諦めることはできず、《趣味として》週末、真鶴のヨットハーバーに通った。仕事と好きなことは、別。良雅はそういう信念を築くことで自分の人生を肯定してきたのだ。

 そうした父の生き方と今の米澤のボクシング生活はあまりにもかけ離れている。米澤が就職も決めずに大学を卒業したのは、もう14年前。実家に帰るたびに、この類いの喧嘩が繰り返され、息子はいつしか寄り付かなくなった。

 今回、正月でもないのに実家に寄った米澤は何を期待したのだろう。もしかしたら、8ヶ月ぶりの勝利を一瞬でも喜ぶ父の顔が見たかったのかもしれない。だが、父の態度は変わらず、さんざんな夜になってしまった。父はこれまで一度もボクシングの試合を見に来たことがない。学生時代のレスリングの試合には何度も足を運んだのに、“部活”から“プロ”を目指し始めた時、父は応援をやめた。

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父親がボクシングを反対する理由

「あなたは優し過ぎるから、ボクシングには向かない!」

 そう言った父の言葉にも確かな根拠があった。母・折江は米澤の幼少時代をこう振り返る。

「小さな頃から争うのが苦手というか、嫌いだったんじゃないかしら。この子、あんこもちが大好きなんですけど、1つしかなくて、妹が欲しいってだだこねると、すぐに譲ってしまうんですよ。競争心がないって言うんですか? かけっこでも、せっかく一番で走ってきてゴールかと思ったら、みんなが来るの待ってるんですから。ゴールしないで。それでそのまま追い抜かれてビリになったこともあるんです。誰かと喧嘩した覚えもないですし、傷だらけで帰ってきたこともないですね。

 お父さんが重隆にボクシングに向いてないっていつも言うのは、やっぱり最終的には、その、相手を蹴落としてまで自分がっていう気持ちがない子だからだと思います。やっぱり必要なんでしょう? ああいう世界には。私もこの子がボクシングをやってるっていうのは、やっぱりわからないです。なんでなんですかね?」

 母の話を、隣でへらへらと笑いながら米澤は聞いていた。反論しようともしない。「殴らないで勝ちたい」という言葉は本音だったのかもしれない。

 この男が、なぜ闘いを続けるのか。疑問は膨らむ一方だった。