コロナ禍で繰り出された「小池氏の特徴的な手法」
この2021年1月、政治的事件がアメリカで起きていました。トランプ前大統領支持派による連邦議会議事堂の襲撃です。選挙結果を暴力で混乱させて阻止するなど、日本社会ではちょっと考えにくいことですが、人々の不安(アメリカの場合は自国凋落への不安ですが)を煽り立てることで政権に要求を突きつける構図は、小池氏も似ています。
再び、拙著から引用します。
〈このタイミングなら「最も厳しい対策」を国民は歓迎するに違いない。そうした空気を背景に、小池は3人の近隣県知事を味方につけ、4人で政府に決断を迫った。3時間も粘られた西村は最終的に、「緊急事態宣言を検討する」と言った。途中で何度か中座した西村が電話した相手は、菅だっただろう。
行き当たりばったりではあるが、急所は外さない。その急所とは、「緊急事態宣言を出したくない」という菅の頑なさであった。霞が関は当然ながらこの頑なさに下手に触れないよう忖度を働かせて振る舞っていたし、新型コロナウイルス感染症対策分科会長の尾身茂ら専門家たちもGo To キャンペーンをめぐるやりとりを通じ、科学的な理由を並べただけでは簡単には危機意識を伝えきれず、菅を説得できない、という壁に直面していた〉(同前)
国民のムードを最大限に利用するのが小池氏らしいところですが、この当時、東京都は本当に危機でした。この時(2021年1月2日現在)までにコロナで亡くなった都の累計死者数は631人。1週間平均の死亡者数は、この1か月前より1.6倍に増えていました。危機がここまで膨らんだのはほかでもありません。そのちょっと前、2020年11月、12月の小池都政の「対応の遅れ」に最大の原因がありました。
コロナの専門家たちがGo Toトラベルキャンペーンの停止の対応を求めた相手は観光客の“供給源”である東京都ですが、小池氏は「国がお決めになること」などと言って自分の仕事ではないと言い逃れました。国民に痛みや負担のともなう、不人気な政治決定には関わらないようにすること。都合が悪い時には記者に質問させないことなど、小池氏の特徴的な手法が繰り出されました。
行動したり発言したりしたことと違って、「積極的には何もしない」という不作為は忘れられがちですから、あえて書いておきます。