次に、こうしたマッチングとしての恋愛から脱却する方法として「気が合う人を最良の恋人だと思い込む」という手がある。
すなわち、理想の人がいないと嘆くのではなく、自分の行動と思考を変えることで相手との理想的な相互作用を生み出していくのである。他人と過去は変えられないが自分と未来は変えられる、という発想だ。
たとえば、今の相手へのときめきを感じられないと思うのならば、文字通り吊り橋を一緒にわたってみて、セルフ吊り橋効果を求める手もある。あるいは旅行先で歴史上の人物になりきるなど、普段とは違った関係性を体験できるデートプランを立ててみてもよい。
いずれにしても、「相手そのもの」を変えるのではなく、「自分と相手の相互作用」を変えるような手を打っていくことが大事である。こうして、相手を理想の恋人だと思い込むことで、奪い合いの恋愛から脱却できるわけだ(とはいえ、後述するように、あくまで自分主体で恋愛経営すべきであり、ダメ人間に搾取されないよう気をつける必要がある)。
我々は恋愛においてしばしば「奪う」という表現を使う。恋人を奪う、心を奪う、唇を奪う、略奪愛……といった具合である。
奪うという発想に陥りがちであるからこそ、好きな人の目を奪おうと挑発的な格好をしたり、好きでもない人とじゃれている様子を見せつけてやきもちを妬かせようとしたりする。あるいは好きな人の時間を少しでも奪おうと必死になり、恋人でもないのに相手を束縛して嫌われてしまったりもするだろう。
世の中にごくわずかしかいない理想の相手を探してその相手を数多のライバルから奪い取るという発想では、確率的にいってもほとんど負けが決まっている。
我々は理想の相手の存在確率および自分との恋愛成就確率を高く見積もりすぎる。
智人の愛:理想の相手ではなく理想の関係を求める
また、奪うという発想での恋愛は一時的に成就したかに見えても、常に不安にさいなまれることになる。
だからこそ、恋人が自分のことを本当に好きなのかどうか試すような行動をとってしまったり、相手の求めに何でも応じてしまって軽く扱われるようになってしまったり、相手の行動を逐一監視して異性と関わる場をすべて制限することで、むしろ相手を燃えるような浮気愛/不倫愛に走らせたりもする。