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 しかし「理想の恋愛相手は天才ロボット学者でもない限り作れないが、理想の関係は作れる」という視点を持てばこうした状況から脱却できる可能性がある。

 しかも多くの人はこうした能力をすでに持っているのである。

 一例として、元々はタイプではなかった相手となんとなくの勢いで付き合ってみて、時間とともにその人のことがだんだん好きになっていき、それどころかその人のことが好きすぎてたまらなくなるという経験をしたことがあるという人の話はよく聞くだろう。

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 こうした人たちは自らの想像力で自分の恋人を理想に仕立て上げているわけだ。友人から傍目には田舎出身の朴訥な青年にしか見えない恋人の写真を「ハリウッドスターに似ているでしょ」と自慢された経験がある方もいらっしゃるだろう。

 逆にこのような志向がないと、せっかく理想の相手と付き合えたのに、ふとしたきっかけで相手のことを異性として見られなくなったりすることもある。

 たとえば、おしゃれで、仕事もできて、優しくて、話も面白い恋人がいても、ある日その人の耳毛がフサフサなことに気づいた瞬間に恋愛対象として見られなくなってしまったりする(これに気づいて私も耳毛を切るようにした)。

 あるいは自分にはもったいないくらい完璧な恋人が、あれこれと自分に世話を焼いてくれるために、ある日からその恋人が自分の父母のように思えて恋人として振る舞うことができなくなったりする。

 もちろん理想の関係を作るという志向が行き過ぎてしまった場合は、これまた別の悲劇を演じることになる。

 たとえば、どう合理的に考えても恋人同士でいることで自分が不幸になるような相手と「自分が頑張れば理想の関係を作れるのではないか」という思いから、ずるずると関係を継続したりすることもありうる。こうした相手に対しては留学や就職などの外発的な事象によって物理的な距離ができると驚くほど冷静になれたりする。

 恋愛は手段にすぎない。その先の目的には自分と相手の幸せがある。

 相手と自分が一体化して、相手の幸せが自分の幸せだという状態もありうるが、多くの場合、これは不健全な共依存状態だろう。いずれにしても、幸せという目的に向かって恋愛関係を創造していくことで、奪い合いの恋愛の悲劇から抜け出すことができる。

 恋愛はまさに経営なのである。