運営はどのようにされているのだろうか。
「感染症対策をはじめ、お風呂の手配、長期の避難についての悩みもあります。比較的元気な方は、マッチングをして、次の2次避難所へ行けます。ホテルや旅館に繋いだりしています。障害がある方や認知症のある方はホテルでは受け入れが厳しいので、ケアマネージャーさんが福祉施設を探すのですが、県内はいっぱいでなかなか空きが見つからないのが現状です」(同前)
県とは独自に現地入りした医師や看護師も
また民間でも、福島県立医大の放射線健康管理学講座から研究員3人(看護師、医療通訳士、理学療法士)が現地入りしていた。佐賀県の「医療法人ロコメディカル江口病院」の4人の派遣チーム(医師、看護師2人、理学療法士)に同行する形をとった。同講座の坪倉正治教授はこう話す。
「江口病院側に車を出してもらい、両方協力して活動しました。僕らはDMATのような組織ではないために、公的な支援には関われません。それでも介護や看護は現場の人数が必要なので、何か起きても自己責任という覚悟で行きました。うちの講座から行った3人は業務ではなく有給を取る形でした。活動については、毎日報告をくれていました」
彼らの支援先は、輪島市にあるグループホーム「海と空」。地震発生後から周辺住民の被災者を受け入れ、1月8日から福祉避難所として運営されることになったのだ。その時点から、配慮が必要と判断された人たちを受け入れていた。
「スタッフの中に福島県相馬市出身者がいて、いてもたってもいられないと言うことで現地で支援を行うことを決めました。『何かできることをしなきゃ』という感覚はあったと思います」(坪倉教授)
福祉避難所のリーダーは、全国訪問ボランティアナースの会「キャンナス」の統括コーディネーターで看護師の石川和子さん。他にも医師、看護師、介護福祉士、理学療法士ら20人ほどが運営スタッフとして関わっていた。
福祉避難所が主に受け入れるのは、要介護で介助が必要な人、引きこもっていて避難できていなかった人、虐待されていた人、他の避難所では馴染めなかった人など様々だ。
「記録では、地震があった1日の時点で避難者が60人いました。その後、2次避難所などへ移る方がいて40人くらいで推移しています。私たちは独自に広域避難のスキームを作っていて、福井県勝山市や富山県高岡市に避難できるようにしています。金沢などにも一般の避難所はあるのですが、要介護者となるとなかなか次の避難所が見つからないんです」(石川さん)