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 DPATは被災地を専門とするため、現地のリソースを使わず自己完結が原則である。そのため電源や衛星電話を介してインターネット回線を確保する必要がある。そのためには自衛隊のような他の団体との連携も不可欠だ。

「東日本大震災のときは、まだDPATのような組織がありませんでした。もちろん現場の医療従事者は頑張っていたのですが、連携が難しい場合もあったと聞きます。地震のトラウマをケアすると言っても、時期や個人によって被災者のニーズは変わっていきます。現地の人が一体何に困っているのかをリサーチし、ニーズを掘り起こすことが先遣隊としては非常に大切です」(井上医師)

 珠洲市に入ると、活動の拠点となった「健康増進センター」には様々な情報が集まってきていた。

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「岐阜県のDPAT先遣隊も来ていたのですが、話し合って私がDPATのリーダーになりました。最初にしたのは、現地で起きていることをとにかく調べることでした。『避難所に薬がなくて困っている人がいる』『すごく激しい興奮状態の人がいる』という情報を集め、それが何時何分に、誰から聞いたかも記録していきます。それを見ながら『一回現場へ行くしかない』とか『電話してみよう』といったことが始まりました」(井上医師)

ミーティングをするDPAT先遣隊(井上医師提供)

「『もう、死んでやる』と騒いだり、暴言を吐いてしてしまうケースが…」

 初めての派遣でDPATチームを率いることになった井上さん。しかし人手が足らず、メンバーの行動を指示するだけでなく、自身も1人の医師として行動する必要があった。

「基本的には指揮所にいますが、同時に何件も問題が起きていれば私も動かないと間に合いません。自殺念慮の疑いがある人がいれば、まず顔を見にいく必要がありますからね。ただ正直、本部機能と、実際に支援する役割を同時に担うのはなかなか難しかったですね」(井上医師)

 井上さんが石川県へ入った時には地震から1週間が経っていたが、精神医療の状況は全く行き届いてはいなかったという。

「どうしても食べ物や支援が行き届かないことがあり、それに対する不安や苛立ちなどが様々な問題を生んでいました。避難所でも、『もう、死んでやる』と騒いだり、暴言を吐いてしまうケースがありました。自宅避難者はさらに把握が難しくて苦労しました。

 精神医療にもともと通っていた方の中に、発災以降に受診ができなくなっている人が多いという情報も地元の病院が教えてくれました。病院自体は動き出していても、外来予約の日に来ない人がいるんです。それで病院に来なかった人のリストを送ってもらい、どの避難所にいるかローラー作戦でこちらから探しに行きました。精神医療のユーザー、特に認知症や統合失調症の人たち、他にも躁鬱病の人たちの薬が途絶えるのは好ましくはないですからね」(井上医師)