「狂気にも見えますけど、本人はずっと正気なんですよね」
「まず、沙苗を自分の中に落とし入れる――言うなれば、沙苗の中に入るまでの道のりがかなり遠くて。役を生きるのは主観的になることですから、彼女の愛を客観的に裁いてしまったままでは演じられない。『うわーっ、どうしよう』と葛藤しました。
ただ、沙苗と私は相通じる部分もあったんです。沙苗はホストを刺してしまった後、精神科に通い、お見合い結婚をする。一般的に良しとされている『正しい生き方』を情報として受け取っているし、なんならそちら側に行けたとも思っているんです。過去の愛と完全に決別できたわけではないけれど、どこか3本くらいの糸は切れたのではないかと。そうしてまともに生きられる時間が訪れるのですが、それは沙苗にとって救いでもあり、退屈でもある。あの狭間のようなもどかしさ、本当に生きていない感覚はとても身に覚えがありました」
沙苗にとって、身を焦がすような愛は生きることそのものだ。その熱を手放せば、「一般的な幸福」のレールに乗って、ほのぼのとした平熱の人生を送れるが……。
「でも、その選択をしてしまったら、もはや自分ではない。沙苗の愛は狂気にも見えますけど、本人はずっと正気なんですよね。『なんで皆わかんないの? どうして本物の愛を知らないの?』『私を狂っていると言う、そっちがおかしいでしょ』くらいの勢い。正気と書いて狂気なんです。沙苗は自分の愛を信じ切っている。だからこそ、そんな彼女の愛を完全に信じられた、言い換えれば私自身の愛を忘れられた瞬間に、ようやく沙苗の中にたどり着けました」
橋本が沙苗の奥深くに潜っていく過程は、『週刊文春』で連載中の書評「私の読書日記」からもうかがい知れる。「愛と怒り、加害者と被害者」と題した回(週刊文春電子版2022年11月2日配信)では、愛人を絞殺し局部を切り取った阿部定や、『ホス狂い 歌舞伎町ネバーランドで女たちは今日も躍る』(小学館新書)に触れている。
「狂う、とはどんな状態なんだろうと考えたんです。私の中で出た答えは、何かを突き詰めすぎること。社会には大気圏のような線があって、それを突き破ると狂気と見做される。でも当人にとっては、ただひたすら進んで行って、『ここまで来た』というだけなんだろうなって」
橋本自身も「突き詰めるのは好き」だという。沙苗が「本物の愛」について想いを巡らせ言葉を尽くすように、橋本も自らの頭で考え、自らの言葉で発信することにこだわる。
写真=小見山峻
ヘアメイク=石川ひろ子
スタイリング=清水奈緒美
衣装協力 PETER DO/PROTOTYPES/Y/PROJECT
撮影協力 ローズホテル横浜