橋下・松井コンビでスタート
〈海外パビリオン、建設申請「ゼロ」 大阪万博 開幕間に合わぬ恐れ〉
昨年7月1日付朝刊で朝日新聞がそう報じたことにより、マスコミが「大阪万博危うし」と騒ぎ始めた。建設予算も当初の2倍近くになっている。万博の開催を巡るマスコミ各社の世論調査では、「中止すべき」と「延期すべき」の合計が軒並み半数を超えた。
「もうデッドラインは過ぎていると思ってもいい」
海外パビリオンの建設工事について、日本建設業連合会会長の宮本洋一清水建設会長は、昨年11月27日の定例記者会見でそう言い放ち、物議を醸した。そこへ元日の能登半島地震が起き、ますます万博懐疑論に拍車がかかっている。万博工事が復興の足かせになるのではないか、という声が上がり、政府はその火消しに追われてきた。
だが、大阪万博の問題は建設工事の遅れだけではない。そもそもなぜ大阪湾の人工島で計画したのか。根本的な疑問も浮かぶ。大阪万博の迷走は今に始まったことではない。
大阪万博は、元大阪府知事の橋下徹と前大阪市長の松井一郎の日本維新の会コンビが、2010年5月の上海万博を視察したことからスタートしている。このとき日本は民主党政権だったため、政府への提案すらなかったが、12年12月の安倍晋三政権の発足後、大阪の万博計画が本格化する。橋下との入れ替わりで大阪府知事に就いた松井が、官房長官だった菅義偉に相談し、構想が動き始めた。15年から16年にかけて大阪府は「国際博覧会大阪誘致構想検討会」「2025年万博基本構想検討会議」といった有識者会議を設置し、博覧会国際事務局(BIE)に誘致を働きかけるための基本構想を練っていった。
当初は“カジノありき”だった
もっとも実は橋下・松井コンビの率いる維新の会にとって、万博は大阪湾に浮かぶ夢洲開発構想の一部に過ぎなかった。大阪府と大阪市は万博の検討会設置に先立つ14年10月、経済連合会、同友会、商工会の関西経済三団体とともに「夢洲まちづくり構想検討会」を立ち上げた。その〈夢洲まちづくり基本方針〉を読むと、夢洲の構想が一目瞭然だ。はじめに次のように記されている。
〈2017年8月に夢洲まちづくり構想を策定した。同構想において想定されていた「IR」や「万博」に関し、IRについては、国において「IR推進法」が2016年、「IR整備法」が2018年に成立し、それを受けて府市として2019年2月に大阪IR基本構想(案)をまとめたところであり、万博については、2025年に夢洲での開催が決定したところである〉
その〈夢洲まちづくり構想〉はこうも記す。
〈夢洲全体を世界中から人々が集まる魅力ある国際観光拠点として形成するため、第1期の成功で大きな注目を集めることが不可欠であり、統合型リゾート(IR)の成否が大きな鍵を握る〉
つまり夢洲開発はカジノ・IR構想ありきで、万博はカジノ開業後に開く予定だったのである。事実、検討会の具体的な夢洲開発の〈第1期・第2期まちづくりに係るスケジュール〉を見ると、第一期工事がIR整備、万博は第二期工事に位置付けられていた。カジノ・IRは21年から整備を始めて24年半ばに開業、万博は23年初頭から建設を始め、24年中に終える計画だ。むろんそこまでには、夢洲までの橋や道路、地下鉄の延伸といったインフラ整備も済ませていなければならない。つまり万博は、カジノの集客起爆剤として計画されていたのである。
万博迷走の原点が、ここにある。2016年以降、大阪府の万博基本構想検討会議委員として加わってきた大阪公立大学特別教授の橋爪紳也は、次のように指摘する。
「もともと2014年段階の万博検討会議の大阪案では、千里ニュータウンのEXPOʼ70万博跡地や鶴見緑地など8候補地が挙がっていました。そこから1つを選んで大阪府がまとめ、15年に政府に提案した。その案がIR構想の隣地となる夢洲を会場とするものでした」
16年12月、カジノを含む統合型リゾート法(通称IR推進法)が施行され、18年7月にIR整備法が成立する。橋爪が続ける。
「大阪府と大阪市は、IRの開業を先行させ、その後に隣接地で万博を開催する予定でした。IRに向けてインフラ整備を行うことを前提に、そこに万博を誘致したわけです。したがって万博開催時には、道路や鉄道、下水道などのインフラ整備も進んでいるはずでした。政府には、計画の立案から2年ほどで大阪IRの地域認定をしてもらえると考えていました。ところが、認定が2023年の4月にずれ込んだ。その間に万博の誘致に成功した。結果、先に万博が開催され、IRの開業があとになったわけです」