オーナーは元ヤクザだったため、まわりの良識ある大人たちは誰も文句を言えない状態に……。かつて足立区で違法営業していた「闇カジノ」の実態とは? 足立区生まれ、足立区育ちの著者・山田ルイ氏の新刊『ルポ足立区』(彩図社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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中学校に隣接する闇カジノ
通っていた中学校の隣に、「ゲーム屋」と呼ばれる場所があった。
足立区中の不良たちが集まるその場所では、金を賭けた違法なポーカーや、スロットマシンで遊ぶことができる。今で言うところの、闇カジノみたいなものだ。
ゲーム屋はボロい一軒家のガレージの中にあった。シャッターはいつも開いていて、外からは丸見えの状態。中には十数人が遊べるスペースがあり、いつも賑わっていた。
新宿・歌舞伎町などの大きな繁華街には闇カジノが点在しているが、足立区の、しかも中学校の隣にこのような場所があるというのは相当異常だ。僕が中学生になったころには絶賛営業中だったため、少なくとも30年近くはこの場所にあった計算になる。
遊戯方法はメダルを使ってゲームを楽しむシステム。100円で20~30枚くらいと交換できたので、中学生の僕たちが行っても、ある程度は遊ぶことができた。
獲得したメダルは、クオカードやマクドナルドの商品券と交換する。過去にはマックの3000円のカードが50枚出たことがあったらしい。3000円×50枚=15万円だから、遊びとはいえなかなかの金額だ。
ゲーム屋にたむろしていたのは、明らかにアウトローな雰囲気を漂わせた人たちばかりだった。ヤンキー、チンピラから半グレ、ヤクザまで、見るからにヤバい連中が肩を並べて裏ポーカーやスロットに興じていた。
僕たち中学生も、その危ない雰囲気に憧れてゲーム屋通いをするようになっていった。最初のうちは向かいの弁当屋から中の様子を窺い、勇気を出してゲーム屋の中に足を踏み入れる。肌がピリつくような緊張感は、今でも鮮明に思い出すことができる。
頑張って通い続けていると、ゲーム屋の大人たちからもだんだんと顔を覚えてもらえるようになった。
「小遣いやるからタバコ買ってこい」
パシリをさせられたこともあったが、大人の仲間入りができた気がして嬉しかった。出禁になっているにも関わらず変装して潜り込んでいる客もいて、彼らの代理で換金を頼まれることもあった。