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「あそこだけはすぐOKでした」岩下志麻が語る、小津安二郎に評価された“特別”なシーン《生誕120年》

「あそこだけはすぐOKでした」岩下志麻が語る、小津安二郎に評価された“特別”なシーン《生誕120年》

2024/04/29
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小津組が磨き上げる廊下

 ──小津監督に初めて会ったのはいつですか。

 岩下 大船撮影所の所長室に呼ばれてお会いしました。「岩下志麻です」ってご挨拶しただけでした。

 ──『秋日和』では佐分利信さんの会社の受付嬢の役で、廊下を歩いて部屋をノックし、「どうぞ」とセリフをいう。3回登場しますが、いつもそれだけですね。

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 岩下 ただ歩いてきて、コンコンってドアを叩き、お客さまを案内するだけでしたが。小津組って大道具さんがピッカピカに廊下を磨き上げるから滑るんですよ。それが怖くて怖くて。転んじゃいけないと思って、そっちばっかりに神経がいってました。演技どころじゃなかった。私はその時はまだ3本目の新人で、何の癖もついてないからか、1回か2回のテストでOKでした。あまり注文もなさらなかった。とにかく私は転ばないようにまっすぐ歩こうということばかり気にしてましたけど。

 ──タイトスカートでハイヒールですね。

 岩下 難しいですよね。ローアングルだから全身が映る。脚がけっこう目立ちますから。歩き方もきれいにしなくちゃ、という意識はありましたね。

 ──やはり小津日記で、『秋日和』の撮影が昭和35年の9月20日からとわかるのですが、そこに「昼から出社 小道具の都合で二時すぎからセット 佐分利 北[龍二]岩下志麻 3カットにてやめる」とあって、チョイ役にも関わらず、小津監督の中では岩下さんをもう女優さんとして認められているんです。

 岩下 ありがたいですねえ。『秋日和』は私のテストだったのかな。

 ──『秋日和』の時に、小津監督と話されたことはありましたか。

 岩下 ド新人でしょう。だから、何もお話しした記憶はないですね。ただ、すごく優しい監督さんだなという感じはありました。

 ──それまでの木下惠介監督(『笛吹川』)と篠田監督とは肌合いが違いましたか。

 岩下 そうですね。『秋日和』をやらせていただくに当たって、小津組というのがどういうものかって、撮影の見学に行ったんです。そうしたら、テストを最低30回ぐらいやってらっしゃる。ベテランの方でもこんなにテストするんだと、「私、大丈夫かな」なんて思って行ったら、私はすぐOKだったから、なんかちょっと拍子抜けしたような感じがしましたけど。きっとまだ癖がついてなかったからでしょうね。

 ──いろんな方が、小津監督が岩下さんのことを「あの子はいいよ」と言ったと聞いています。昭和36年8月27日の報知新聞の「上昇株 岩下志麻」という記事の中で、小津監督が撮影所長の白井昌夫さんに「岩下君は大事に使いなさいよ」と耳打ちしたとあります。

 岩下 本当にありがたいことですね。そんなことをおっしゃってくださっていたんですか。

 ──それで『秋刀魚の味』になるわけですけれども。笠智衆さんと並ぶ主役ですね。

岩下さんと父親役の笠智衆(『秋刀魚の味』 1962年、小津安二郎監督、松竹)

 岩下 お話をいただいて、ビックリしました。「エッ、私で大丈夫なの?」って。原節子さんがずっとおやりになっているのに、なんで私なんだろう。できるかしらと思って。でも、あの頃はあんまり、「やるぞ」みたいな欲がなかった。“駆けずのお志麻”と呼ばれるぐらいのんびりしていたので、「じゃあ頑張ってやらせていただきます」みたいな感じでした。ドキドキ緊張することもなく撮影に入った記憶がありますね。入ったら大変でしたけど。

 ──シボられましたか。

 岩下 テストテストでね、絞られました。小津先生の独特の美学と、独特のリズムがありますから。それにはまらないと、何回もテストして。1、2回でOKだったのは、ラストの花嫁のシーン。あそこだけはすぐOKでしたね。まあ、あんまりセリフもなかったんですけど。で、「花嫁姿はいいね」なんておっしゃってくださって(笑)。

 ──小津映画では松竹の女優さんで花嫁姿になった人はいなかった。

 岩下 「初めてだよ」とおっしゃってました。

 ──花嫁姿は、かつて東宝に所属していた原節子さんの『晩春』のイメージがすごく強い。そういう意味でも、小津監督にとっても特別な女優さんだったと思います。

 岩下 ありがたいことですね。本当に。