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 篠山さんは怒ったりはしなかったんですけど、周りのモデルの子のお母さんたちから「何だかすごく生意気な子がいた」という話が出回ったらしくて、撮影で一緒になった子から「何だか紗香ちゃんって聞いていた話と違うね」と言われて。それが恥ずかしくって、母に「私、反抗期やめる。仕事に悪影響があると思うから」と言って、親と握手をしてそこでやめました。

大人になって知った、チャイドルの様々な見え方

ーー1995年、吉野さんが中学1年生の頃にチャイドルブームが起きます。

吉野 中森明夫さんが子どもなのにプロ意識を持ってモデルとしてやっているから、それに当てはまる言葉をということでチャイドルという言葉をつけてくれたんです。

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ーーチャイドル自体は他にもいましたけど、中森さん自身は文章の中で「チャイドルとは吉野紗香のために作った言葉だ」と言っています。

吉野 そうだったんですね。嬉しい。

©橋本篤/文藝春秋

ーーチャイドルがブームになる一方、大人が小学生や中学生の女の子に騒ぐ様子は一部でロリコンと批判も浴びました。吉野さん自身は当事者としてどう感じていましたか?

吉野 大人になってですよね、チャイドルにいろいろな見え方があったと知ったのは。当時はプロのモデルとして見てもらって、プロとして水着を着て撮影されていると考えていたので。ファッションモデルは着ている水着をよりよく見せるかもしれないけれど、私はモデルとして自分自身をそこで見せていると解釈していました。

 そういう意味では私はモデルで、グラビアアイドルだと考えたことはなかったです。

オーディションでもとにかく前に出て、自分を見せる

ーーチャイドルは幼い子に大人っぽい格好をさせるというのが初期のコンセプトでしたし、吉野さんも年齢よりも大人っぽいグラビアが多かった印象です。その点では後のジュニアアイドルとは一線を画しています。

吉野 本当にそうですね。子供らしさではなく、大人へと変化していく様をちょうど写真に収めてもらってた感じがします。

©橋本篤/文藝春秋

ーーチャイドルブームが来たことで吉野さん自身も一気に仕事が増えます。当時は野村佑香さんと小嶺麗奈さんと3人で写真集も出しましたし、一緒が多かったですね。

吉野 ただ当時、私はハングリー精神の人だったので「一緒に何でやるの?」「何で私一人じゃないの? グループとかだめなのに」とか思ってました(苦笑)。

 とにかく私が真ん中、一番。絶対に引っ込んではいけないと思ってました。オーディションでも、とにかく前に前に出て、自分を見せる。そこで端っこにいたいと思うなら芸能界に来る必要はないと思ってしまう。

 小学校の頃はいじめられっ子だったので、自分の中にはどこか自信のない部分もあって、そこを隠さなきゃいけないって思って必死でした。