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 明日の本部幹部会については、弟子の君たちが、団結して、しっかりやりなさい。皆が、創価学会のすべての責任を担って戦う時が来ているのである。学会の将来にとって、今が一番大事な時である。ゆえに、私を頼るのではなく、君たちが全責任をもって、やる時代である。私は、これからも君たちを見守っているから、安心して、総力を挙げて広宣流布(引用者注・社会全体への布教)を推進しなさい。

 

(『聖教新聞』2010年6月4日付)

 その後、同年11月に東京都内で行われたアメリカの大学からの博士号授与式に出席したのを最後に、池田は公の場から一切姿を消してしまう。まさに、2010年6月の本部幹部会で読み上げられた池田からのメッセージこそは、彼の事実上の“引退宣言”であった。

憶測報道もあった

 それからも、例えば『聖教新聞』などには、「最近の池田先生のお姿」といった写真が何度か載ることはあった。ただし、池田はもともとでっぷりした体格の人物だったのだが、明らかに体形はやせていっており、またサングラスをかけて写真に納まるなど、詳しい表情がよくわからないものも増えていった。遂にはその写真は近影ならぬ遠影のごとく、遠くから写したものとなっていき、もはや本当に本人なのかもよく判別できないものと化していく。

 もっとも“引退宣言”を行った2010年6月時点で、池田は82歳の高齢者であり、心身の調子が悪いことは事実だったのだろう。その後、「池田大作はいま何をしているのか」といった憶測報道も多々出回ったが、それらは脳梗塞、認知症など、脳関係の障害だとするものが多かった。それらが裏付けのあるものだったかどうかはわからないが、“引退”後の池田が表に出られない状態にあったことはうかがえる。

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 筆者が創価学会関係者らに取材したところによれば、池田はそれでも2015年ごろまでは、折に触れて一部の最高幹部らに自らの意思を伝えることもあったようである。しかし、それ以降は完全な引退状態となり、「池田名誉会長はすでに実務にはノータッチ」と、あけすけに語る幹部なども増えていく。そして確かに、それと調子を合わせるように、創価学会は組織として、さまざまな改革を行っていくことになるのである。

(文中一部敬称略)