別の従兄弟夫妻の母親がヘリコプターで救出される
ただ、輪島から金沢市までゆっくりなら車で走れる道路があると分かった。
金沢市でも住宅の損壊や金沢城の石垣崩落が起きたが、奥能登と比べれば雲泥の差だ。多くの人が普段通りの生活を続けていた。
そこで橋本さんは、高齢の父母、息子らを、金沢へ向かう従兄弟に託して、夫妻だけ残った。「妻の兄」を残して離れるわけにはいかなかった。
だが、家が倒壊して寝泊まりする場所がない。このため、従兄弟の1人が紹介してくれたプレハブで過ごした。
ここには別の従兄弟夫妻も身を寄せた。母親が孤立集落に取り残されて、状況を見守る必要があったのだ。
こうして4人で寝泊まりする場所は確保できたが、上下水道が使えない。食料もない。そのため、従兄弟らが金沢から運んでくれた。
これら物資は4人が使う最低限の物を残して、窮乏している避難所などに届けた。
そうして発災から1週間が過ぎた。「別の従兄弟夫妻」の母親がヘリコプターで救出された。
あと少しで10日が経とうかという頃、「妻の兄」を葬儀社の車で金沢市へ運び出すことができた。
橋本さんはプレハブを閉めて、金沢へ移る。
「妻の兄」は金沢でも通夜や葬儀を行えず、火葬して遺骨を持ち帰っただけだった。悲しかったが、避難先ではどうすることもできない。
「伝統の海士町」が直面した400年で最大の危機
橋本さん夫妻は金沢市で働く二男と三男がそれぞれ借りた狭いアパートを行き来して過ごした。それから石川県が二次避難所に指定した旅館に身を寄せた。さらに金沢市内にアパートを見つけ、長男と3人で移った。
今は失業状態だ。輪島港の地盤が隆起して浅くなり、漁船が出せなくなってしまったのである。県がどのように港を再整備するかは決まっておらず、いつになったら漁を再開できるかも分からない。
輪島市の仮設住宅に入れるよう申し込みはしている。これも希望者があまりに多いので、いつ入居できるようになるかは不明だ。
当面は金沢市で仕事を探しながら、アパート暮らしを続けるしかないと考えている。
先の見通しが立たない。何から手をつけていいのかも分からない。
ただ、橋本さんには重要な仕事があった。
輪島市の「海士(あま)町」という自治会の会長なのである。
海士町は極めて特殊な“集落”だ。漁業を生業にする人々が江戸時代の初期、輪島に定着して、独自の文化を受け継いできた。市内の人々とは言葉も違う。つまり、輪島で400年近く暮らしながらも、輪島に染まり切っていない「奇跡の集落」なのである。
ところが、被災で肝心な漁ができず、住宅も損壊して避難先は様々だ。このままバラバラになってしまう恐れもある。
「伝統の海士町」をどう維持していくのか。
400年で最大の危機に直面したのである。
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