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大津波警報の予想は5m 別の従兄弟らと役割分担をして行動

 その時、橋本さんは港の方を見て驚いた。

 自宅は港から50m強の場所にあり、一直線の道路の突き当たりだ。いつもなら岸壁に並んだ船が見通せる。ところが、操舵室の上に取り付けたアンテナしか見えなくなっていた。

「海面があんなに下がっているのか。ものすごい大津波が来るぞ!」。海を知る漁師だからこそ想像できた。実は地盤が隆起して海面が下がっていたせいもあったのだが、それが分かるのは後のことだ。この時は「隆起」など想像もできなかった。

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海底が隆起し、港の真ん中で動けなくなった漁船(輪島港) ©葉上太郎

 揺れから12分後の午後4時22分、大津波警報が出た。「予想される津波の高さ」は「石川県能登」で5mとされた。

 橋本さんの家は岸壁と同じ高さの地面に建っている。警報通りに津波が押し寄せたら、倒壊した家屋は屋根まで丸呑みにされかねなかった。

 橋本さんの心は引き裂かれた。屋内に取り残された従兄弟を助け出さなければ命が失われてしまう。でも、子供や高齢者がいるのに逃げ遅れたら全員がやられる。日本海側は地震発生後の津波来襲が早く、輪島の漁師の間では震源が近ければ「数分で来る」というのが常識だった。

 迷っている余裕はなかった。自身は親類を高台に誘導しようと決めた。従兄弟の救出には、別の従兄弟ら約3人が残った。とっさに役割分担して別行動に移れたのは、絆の深さがあるからだ。

「大きな津波が来る」と察知し、港を背に山へ逃げる

 高台に逃げると言っても、窓から逃げ出したので、靴をはいている人はいなかった。ガラスが割れて散乱しているだろう道路を裸足では歩けない。近くの家から履物を「拝借」して全員に渡した。

 橋本さんは日頃から「津波が来たら山に駆け上ろう」という心づもりをしていた。しかし、思ったようにはいかなかった。建物が道路に倒壊して、通れない箇所がある。大回りをして、道を探す。どこが通れるかは、見てみないと分からない。橋本さんの息子らが走り回って探索した。迂回に迂回を重ねたので、直線で200mしかない距離が500mにもなる。

海士町。漁師町の細い道路は倒壊で通れなくなっていた(輪島市) ©葉上太郎

 気が焦って走りたくなるが、子供や高齢者がいた。「とにかくバラバラにならないようにと思いました」と橋本さんは語る。

 途中で避難に難儀している高齢の女性を見かけた。すかさず、橋本さんの息子が背負う。

 そうして大勢の人が避難している場所にたどり着いた。

 一方、潰れた2階に従兄弟が取り残された現場。

 港にいた若い漁師達が救助に加わっていた。

 津波が予想されるような地震が起きると、漁師は接岸している船が転覆したりするのを避けるために沖へ出る。このため浜に走って来た漁師が何人もいた。午後4時6分の前震で駆けつけた漁師は船を出せたが、同10分の本震で港に向かった漁師には無理だった。既に港の底が見えるほど海水がなくなり、船を出せる状態ではなくなっていたのである。「大きな津波が来る」と察知して、港を背に逃げた。