運動公園の体育館に向かうが、道路の陥没でたどり着けず
その避難する途中で、若い漁師達が危険を顧みずに助けてくれたのだ。
ただ、人力では倒壊した家屋をどうすることもできなかった。
早く救出しなければ命が危ない。この時、自宅にチェーンソーがあることを思い出した従兄弟の息子がいた。駆け戻って、被災した倉庫から取り出し、倒壊した家を切り刻む。
こうして1時間強で助け出すことができ、「市立輪島病院に連れて行く」と連絡があった。
診察を受けた従兄弟は顔面と肩を骨折していたことが分かるが、救出が早かったせいか命に別状はなかった。翌朝、ヘリコプターで被害が少なかった県南の病院へ転送されることになる。
現場を高台に戻そう。避難した橋本さんらは、その後どう動いたのか。
この日の輪島の日没は午後4時44分。真っ暗になって、津波がどうなったかは分からなかった。市街地では火事が起きた。橋本さんの家や避難した場所からは川の対岸だったが、いつまでも真冬の野外にいるわけにはいかない。かといって、倒壊した家には帰れない。
とりあえず運動公園の体育館に車で避難することにした。市街地の奧の高台にある。
車で向かう途中、7階建てのビルが倒壊しているのが見えた。橋本さんは「俺のうちが潰れるはずだ」と思った。
体育館にはたどり着けなかった。陥没で道路がなくなっていたのだ。
やむを得ず、輪島病院の駐車場で車中泊をした。
妻の兄も潰れた家の下敷きに
夜が明けて、救出された従兄弟がヘリコプターで搬送される時、妻の兄の家族が病院にいると分かった。発災直後から携帯電話を何度掛けてもつながらず、心配していたのだ。通信回線事業者によってはつながりにくかったので、妻とは「そのせいかな」と話していた。
「妻の兄」の息子が「おじいちゃんが入院している。お父さんもそこにいて、今は起きていると思うよ」と言う。橋本さん夫妻は胸を撫で下ろした。
野戦病院化した院内を「妻の兄」がいるという一番奥のリハビリ室に向かう。中に入って愕然とした。遺体の安置所になっていたのだ。「妻の兄」は全身に毛布を掛けられて冷たくなっていた。
「妻の兄」の家は輪島市でも繁華街の河井町にある。
河井町は約200棟が燃えた大規模火災で全国に知られたが、実は建物の倒壊が激しい地区でもあった。「妻の兄」の家は1階が店舗、2階と3階が住宅になっていて、1階と2階が完全に潰れてしまったのだ。道路にはみ出して落下した3階が、まるで平屋建てのようになった。
「3人は同じ部屋にいたようです。お兄さんがかばったのか、息子は打撲で済みました。夜通しの作業で近所の人が助け出してくれたそうです。明け方の午前3時7分に病院に運ばれ、直後に死亡が確認されました」と、橋本さんは目を赤くして語る。
市内は壊滅状態で葬儀どころではなかった。市外に運び出せる状態でもない。遺体は輪島市内に設けられた安置所に移すしかなかった。