アタリの単位で“近所付き合い”
筑前国鐘ケ崎から渡来したとされる人々は、春から秋にかけて島で漁を行い、冬には帰っていたという。輪島に居住が許されると、漁期には輪島から島渡りが行われた。
7~9月にサザエ・アワビの漁が解禁される時期に合わせ、海士町から一切の家具を船に積み込んで、舳倉島へ渡るのである。住職や助産師まで町が丸ごと移っていた。島には小中学校の分校があり、この時期には児童生徒が一気に増えた。
だが、高度経済成長期に形が変わった。島への定期航路ができ、漁師もそれぞれが動力船を持つようになると、年間を通じて海士町に定住し、舳倉島近海への通いで漁をする人が増えた。舳倉島側でも港が整備され、発電施設が建設されるなどして越冬できるようになり、定住する人もいた。
こうした歴史があるので、海士町の住民は舳倉島のアタリと呼ばれる小集落に全世帯が所属している。実際に島に家があろうがなかろうが、海士町の全戸がアタリに属するのである。そして、輪島では家が離れていても、アタリの単位で“近所付き合い”をする。
海士町自治会に加入するには、まずアタリに入るのが条件だ。家の跡継ぎは当然入れるが、分家の場合はそれぞれのアタリで加入を認めてもらわなければならない。漁協の組合員になるにも、アタリに入った人が自治会に承認されて初めて資格が得られる。
そして船主会に入り、底引き網や刺し網など漁法ごとに結成された組合に加わる。
各漁法の組合では、それぞれ漁期や禁漁区、出漁日を自律的に決めていて、「資源を守る漁業」にも熱心だ。まとまりがあるので団体競技のような漁も行う。刺し網漁船は同じ場所で上から次々に網を被せ合うようなこともしてきた。
本人ではなくおじ2人で…独特な結婚の申し込み
個性的で団結力があることから、外からは閉鎖的に見えるほどだが、それゆえに海士町だけで通じる言葉など、独特の文化を育んできた。
汚い言葉だが、例えば「バカ」という表現。
「輪島で『だら』と言ったらバカ。『くそだら』は大バカの意味です。ところが、海士町には『だら』と『くそだら』の間に『だらあんみょう』という言葉があります」と解説する海士町の人もいる。
結婚の申し込みも、男性が女性の家を訪ねて、女性の親に「結婚させて下さい」というような日本で一般的に行われていたやり方はしてこなかった。男性のおじ2人が、1人は御神酒、1人は提灯を手に女性宅を訪れ、女性の親に「結婚させてほしい」と伝えてきた。他地区の人にこの風習の通りに結婚の申し込みをしてしまい、「なんで本人が来ないのか、おじが来るなら親も一緒に来い」と怒らせてしまった事例も、かつてはあった。
こうした風習は急速に廃れていて、若手の間では海士町独自の言葉を使う人も少なくなっている。